2009年01月25日

潟^ケダの経営理念ついに決まる

潟^ケダの経営理念

今年一年で、私の今までずっともやもやと言葉に出来なかった経営理念がはっきり見えて来ました。

その経営理念は、

「お客様へお客様の想定を超えたサービスまで提供出来るようになって、
お客様に喜んでもらう事」
です。


「お客様へお客様の想定を超えたサービスを提供できるようになる為に、常にお客様へ感謝の心をもつ事。」
「そのお客様への感謝の心を仕事で表していく事で、御客様の笑顔がイメージされて、
自分も仕事が楽しくなっていく。」
「そして仕事を楽しんで出来た時、お客様の笑顔と自分の喜びが一つになる。」


現在の私の存在があるのは、御客様のおかげです。
常にどんな時にも御客様の立場に立って、
御客様の喜ぶ姿を想像して仕事をしていく事が一番大切な事だと思います。
これは、今後も忘れてはならないことで、その気持ちを持ち続ける事こそ、
御客様の心と一体になれると思っています。


私の使命は

「お客様へお客様の想定を超えたサービスまで提供出来るようになって、
お客様に喜んでもらう事」です。

これからは、全国のあなたの探し物を見つけたり、相談をお受け出来る事が私の喜びです。

ネットショップで全国のお客様に喜んでもらいたい。
お客様の喜ぶ姿を想像すると心がうきうきしています。
得意な分野は建具金物、家具金物、店舗金物、です。

これまで、この業界で勉強してきた私の商品知識と仕入れメーカーのノウハウで
あなたの探し物を見つけて、提供出来るように、このネットショップを充実して行きたいと思っています。

あなたの「よく、探してくれました。うれしい!」という喜びの声が聞けたら最高の幸せです。
あなたに「タケダネットショップに出会えて良かった」と言ってもらえるように、精一杯頑張りますので
宜しくお願いいたします。

2009年01月22日

当社の専門分野で全国の業者様の役に立ちたい

当社の専門分野で全国の業者様の役に立ちたい


私は、岩波さんの指導してくれるやり方の素晴らしさをはっきり実感していました。
「よし、これから、うちのネットショップで、
もっと当社の在庫している商品や扱っている商品の紹介を増やして行こう。
今まで地元の業者様にだけ提供していた当社の商品知識を全国の業者様の為に役立ってもらおう。」
「私が今まで30年学んできた金物業界の知識を全国の業者様の為に役に立たせられるぞぉ」

私は今までの仕事で学んできた私の知識を伝えられる喜びに胸が熱くなるのを感じました。
今年ほど自己改革が出来てやりたい事を実践できた年はありません。

私の“どんまい どんま〜い”も12月号まで出し続けられました。
一年間、毎月出し続けられました。

いろんな方が見てくれて、いろんな感想を頂いて「毎月楽しみにしています。ずっと続けて下さい。」
とうれしい感想をたびたび、もらえるようになりました。
この年になってこれ程、自分がやっている事への感想を頂き、そのうれしさを感じた年はありません。

仕事ばかりしか見えなかった私が家族の大切さをはっきりわかり、
その為に仕事を犠牲にしても、
女房や娘の為に時間を使える気持ちになれました。

また社員には今までは、仕事をやらせようとしていたのが、
仕事をやってもらうという気持ちに変わり、
どんどん社員の自主性を尊重して伸ばして行こうと思うようになりました。

2009年01月21日

ついにブログにも挑戦

ついにブログにも挑戦

今年の目標の一つのあなたレターが順調に続けられているので、
私は思い切ってブログにもチャレンジしてみようと思いました。

それから岩波さんからブログの枠組みを作ってもらい操作方法を指導してもらい、
ついに私のブログもスタートしました。
同じ年のうちに、木戸先生の最初の講演を聞いてやってみたいと思った目標の二つ共、
現実のものになっていったのです。

その後、今度はホームページの検索エンジンの対策とかネットショップの運営の仕方とか、
私がまったく苦手でわからない事をいろいろアドバイスをもらいました。
現在は毎週曜日を決めてネットショップとチラシの作り方の指導ももらっています。
当社の会社で欠かせない存在になっています。
なかなか日常の業務が忙しくてネットショップをもっと充実させたいと思いながらも、
ほとんどほったらかしの状態でした。
いくら岩波さんの指導をもらってもそれを作業していく時間の余裕がありませんでした。

ちょうどその時、Zサービスさんにハローワークから研修に来ている有能な女性がいる話を聞きました。
そしてその女性と面接させてもらい、
私はこの人なら岩波さんのアドバイスを全部現実のものにしてくれるだろうと思いました。
そこで思い切ってZサービスさんの推薦の女性を
当社のネットショップ専門のスタッフとして採用する事にしました。

2009年01月20日

全国の業者様の役に立ちたいと思う

岩波さんとの出会いからネットショップで全国の業者様の為に役立ちたいと思う

さらにこのあなたレターを通じてまたまた素晴らしい人に巡り合えました。
その人は、岩波さんといって、パソコンが苦手な社長にインターネットの指導をしてくれる方でした。

岩波さんは木戸先生のモエル塾のホームページや,
「キキダスマーケティング」の中山マコト先生のホームページなど
著名な方のホームページを任されている方で、私も是非指導してもらいたいと思いました。

最初に岩波さんと電話で話をした時、
岩波さんのお子さんも障害者で私の娘よりもっと重度でお風呂も介護しなければならない話を聞いて、
同じ境遇の親近感がたちまち沸いてきていました。

岩波さんは、私以上に辛い思いを持っているはずなのに、電話の向こうで実に明るく話されます。
私は、この人ならうちの会社のホームページなどインターネットに関する事を
いろいろアドバイスをもらえるだろうと思いました。

それからいろいろ話をしているうち、私のあなたレターの添削もしてもらえる事になりました。
岩波さんは、木戸先生の株式会社モエルのスタッフだった事もあり、
株式会社モエル発行のあなたレターの一部の原稿やレポートを書いていた事があったそうです。

その時に木戸先生から直々に原稿の書き方の指導を受けていたそうです。
そのアドバイスは、実に納得のいくわかりやすい話ばかりでした。
あなたレターの添削をしてもらって2か月位過ぎた時、
私が大体要領をつかんできたので、今度は私のブログを作る話になりました。

2009年01月19日

「仕入れ業務」を社員に任せる

会社の背骨のような大事な仕事、「仕入れ業務」を社員に任せる

木戸先生との面談が終わり、帰りの電車の中で、私は実際問題として、
今私がやっている私しか出来ないし、
私がやらないと会社がうまく行かないと思っている仕事の中で、
まず何を誰に任せられるか、いろいろ考えました。

どれをとっても、社員に譲れるような仕事はなかなか見つかりませんでした。

 そこで、どれもこれも譲れないなら、
この際開き直って一番大切と思っている仕事を任せてしまおうと思いました。

私がしっかり会社にいるうちに、社員の失敗は覚悟してやってもらおうと思いました。

私が会社経営で黒字になるかどうかの分岐点になるのは仕入れ業務だと思っていたので、
これだけは絶対自分がやるべきだと考えていました。

この仕入業務次第で商品の売値も決るし、他社との競合にも負けないようになります。

この一番会社の背骨になるような大事な仕事を社員に任せるのにはやはり数日の決断が必要でした。
でも、ここから自分の夢に向ってスタートしていくんだと考えた時、私の腹は決りました。
翌日、課長に仕入業務を任せたい話をしました。
そしたら意外とあっさり「はい、わかりました。やっていけると思います。」との課長の返事でした。

やってもらって感じた事は、実に良く頑張ってやってくれる事でした。
私はもっと早く課長を認めてあげるべきだったと思いました。

社員を認める事は、社員に仕事を任せる事。

社員に仕事を任せられないのは、その社員を認めていない証拠で、
そこからは相互の信頼関係は生まれて来ませんでした。
自分ばかり忙しくしていて、自己満足をして、
社員の仕事ぶりに不満を持っていた自分が恥ずかしくなりました。

社員に文句を言う前に、まず社員を認めてあげて、
少々の失敗はその社員の成長する為の道しるべと思い、
私が会社にいる間にどんどん社員に仕事をやってもらおうと決めました。

それからは、私はあえて社員の仕事に首を突っ込まないようにしました。
多少失敗しても、深く追求しないで、本人からの報告を待ちました。
報告があれば、何故失敗したのか、一緒に考えて同じ事を繰り返さないように話しました。
なかなか本人から話が来ない時は、会議の席で会社全体の問題として本人の名前は出さず、
問題点と解決策など相談しながら話し合いました。

次第に会社の空気もだんだん良くなり、社員一人一人が今まで異常に輝いて見えるようになりました。
そして、私が言わなくても、自分達でどんどん営業をやり始めて、
大きい仕事をもらえるようになっていったのです。

 あなたレターのおかげでいろんな気づきをもらいました。

2009年01月18日

木戸先生との再会から新たな課題


木戸先生との再会の個人面談から新たな課題


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そんな時、今度は木戸先生から仙台で個人面談をしてもらえる事になりました。
私はうきうきとして木戸先生に会いに行きました。
木戸先生との再会で「あなたレター」を出し続けている事と夫婦の関係が良くなったことなど、
今までの自分と違った気持ちで毎日が過ごせるようになった事を報告しました。

 木戸先生と私の前の面談をされていた中西さんと私と三人で写真を撮りました。
三人とも「あなたレター」の素晴らしさを共有する同士のような親近感を感じていました。
中西さんが帰った後、私は「あなたレター」の実践報告をしました。

それから、今現在の自分の夢を語りました。

現在の私の十年後に実現したい夢

現在、「あなたレター」を出し続ける事で心底から女房との関係を大切に思えるようになった事や、
会社でも社員の気持ちを大切に考えられる心のゆとりが生まれてきた事など報告しました。

そして、今では娘の存在自体が、自分の廻りの人に対する思いやりの気持ちが欠けているのに対し、
神様が私に気づかせる為に授けてくれた宝物のように思えるようになった事をお話ししました。
そしてその苦しみから喜びに変わっていった事から娘への感謝の気持ちを込めて、

後十年したら、会社経営を今大学生の次男に譲り、
自分は知的障害者の人達が生き甲斐を持って生きられる職場を作り上げたい事をつい興奮して話していました。

自分に何の責任もなく知的障害に生まれてきてしまった運命のこの子達に、
「社会からあなた達の存在は大切な存在なんだ」と認めてもらえるようにしたい事。

そしてこの子達も働く事を通じて自分達の生き甲斐を見つけられるような新しい環境をつくりたい事。
それを実現出来るようにする事が今の私の夢である事を話しました。

 その私の話を聞いて木戸先生は大変感銘してくれました。
それなら武田さん、会社の仕事を今よりもっと社員の方へ譲っていかなきゃ駄目ですよ。」
「社員のやれる事は社員にやってもらって社長は全体を見ていけるようにした方がいいですよ。」
「武田さん、武田さんのその熱い思いを本にして出しませんか。」
「本の題名は“社長不在で会社が元気になる”がいいかな。」
まるで自分の事のようにとんとんと私の目標を決めていってくれました。

私は、出版はちょっとまだ考えられませんが、
確かに十年後に会社経営から私が離れられるようにするには、
今からしっかり社員に私の自分しかやれないと思っている仕事も譲っていけるように
指導していかないと実現できない事だなぁと思いました。

木戸先生との面談でまた新しい私の課題が出来ました。
木戸先生は私の進むべき道しるべをきちんと私に示してくれます。
私は木戸先生の助言を忠実に実践するようにしていけば、
自分が気づかなかった喜びがまた見つけられると思いました。

2009年01月17日

女房との関係が一番大切

女房との関係が一番大切


やがて半月程“ほねみ”をやり続けるうちに、女房の気持ちがほぐれてきて、
また昔のような会話が出来るようになっていったのです。

何度も女房の反応にくじけそうになりながら、木戸先生の言葉を思い出してとにかくやり続けました。
その“ほねみ”をやり続ける内に私はだんだん女房の事が本当に大切に思えるようになって来ました。
不思議と今まで心から女房の事を考えていなかったなぁと思えるようになってきました。

そんな時、女房からの反応が変わってきて、女房の返事も明るくなって来たのです。
そして女房から話しかけてくれるようになりました。

その時、私は今までになく女房との会話がうれしくて真剣に女房の話を聞いて、
その話の合間に“ほねみ”を連発しました。

考えてみれば、今まで女房に感謝する事を忘れていました。

私と結婚してくれた事への感謝。

毎日、家事をやってくれている事への感謝。

毎日、子育てをしてくれている事への感謝。

どれもこれも、もし私が独身で何でも自分でしなければならないと考えた時、
全てに感謝の心が大切でした。

それから、今までと違って私は夫婦の関係が一番大切で、
そこから家族とのかかわりがあり、仕事が有り、社員との関係があり、
御客様との関係がある事に気がつきました。

今までは、自分は家族の為に仕事をしていると、
自分の仕事馬鹿ぶりをすべて正当化していました。

しかし、改めて何の為に仕事しているのか、問いただされると、
なんとか会社を黒字で継続しなければと思う自分のやらなきゃという気持ちばかりでした。

全ての原点は女房との夫婦関係にある事に気づいた私は、女房との関係を大切にして、
女房の頼み事は、多少仕事を犠牲にしてでも出来る限り聞いてあげる事にしました。

 それからは、毎日晴れ晴れとした気分で会社に行き、
仕事も実に気分良く出来るようになり自然と社員にも、優しい言葉をかけられるようになっていきました。

 

2009年01月16日

女房への”ほねみ”の実践報告

女房への“ほねみ”の実践報告


翌日の朝、女房が起きてきたので、「おはよう」といつもより気持ちを込めて挨拶しました。
しかし女房は低血圧で朝は苦手なのであまり良い反応がありません。
私は、今まであまり気にもしていなかった朝のあいさつにも神経を使っていました。
内心、「うわ〜、こんなんで“ほねみ”なんて言えないなぁ。まいったなぁ。」と思いました。
女房が黙って朝食の支度をしている傍ら私は、側にいながら何も言葉をかけられませんでした。
娘と三人で御飯を食べながら、私はなんとか“ほねみ”しなくっちゃとばかり考えていましたので
おかずを食べながら「おかあさん、これうまいね。」と今、言える精一杯の言葉をかけました。
しかし、女房の返事は「あ、そう」だけでした。
別に嬉しそうでもなく、何よ今更と言われているような気がしました。

 今までの自分は女房から話しかけられても、
仕事の事ばっかり頭の中にあり、女房の話は、うわの空で聞いていました。
自分から会話をなくしていました。
女房が私の突然の気持ちの変化に気づかず、「あ、そう」というのは当然の事でした。

それから、私は毎日なんとか自分なりに、
とにかく女房に“ほねみ”の言葉を一日に一回は声かける事を自分のノルマにしてやり続けました。

実は、私の娘は知的障害児なのですが、その事がわかってしばらくは、
その現実を受け入れられなくて、
その原因は女房の育て方にあったのでは無いかと女房を責めたりしました。


そして、悩み苦しむ内にだんだん娘の事を受け入れられるようになっていったのですが、
自分が受け入れられるようになって、女房を責めた事へ自分が深く反省しました。
自分が娘の事で悩み苦しんだ異常に女房はもっと苦しんでいたのに、
自分の辛い気持ちを女房にぶつけてしまった事を深く反省して、女房に謝りました。

しかし、簡単には許してもらえませんでした。

自分のやってしまった事ながら、女房を苦しませた事を改めて反省し、今度は女房に“ほねみ”を
してもそう簡単にはうまく行かないのは当たり前でした。

それも自分に対して自業自得だったので、じっと我慢して“ほねみ”をやり続けました。

2009年01月15日

木戸先生から一番大切な事を教えてもらう

木戸先生から一番大切な事を教えてもらう

なんとか自分なりに“どんまい どんま〜い”を出し続けている内、木戸先生との電話相談がありました。
そこで、話ししているうちに、私が仕事ばかり優先していて、
家庭を顧みないので女房との会話がない事の話になり、
木戸先生から生き方を変える位の一言をもらいました。

「武田さん。奥さんに“ほねみ”しなきゃ駄目ですよ。まず奥さんとの関係を良くしないで、
晴れ晴れと仕事出来ますか。」

「そうですね。でも今更女房に“ほねみ”と言われても」
“ほねみ”というのは“ほ”→ほめる “ね”→ねぎらう “み”→みとめる の言葉を短縮した
木戸先生の使っていた造語でした。

私は結婚して24年も一緒にいる女房に今更褒めたりねぎらったり出来るだろうかと、
その時思いましたが、木戸先生から女房との仲が良くなくては、
楽しい「あなたレター」が出せないし、
読んでもらう人にも楽しさが伝わらない事を教えてもらったので
一大決心をして次の日から女房へ“ほねみ”を実践する事にしました。

2009年01月14日

私のあなたレター”どんまい どんま〜い”スタート

私のあなたレター“どんまい どんま〜い”スタート


 私はパソコンが本当に苦手なのでワードで文章を書く事位しか出来ませんでした。
帰りの新幹線の中で、実際の話、本当にやれるのか不安で仕方がありませんでした。
やりたい気持ちばかりが強くて、「何の操作方法もわからない私がワードで作れるのだろうか」と
思い悩むばかりでした。

 早速、会社に戻って、私は講演を聞いた12月のその月に「あなたレター」を出さなきゃ駄目だと思いました。
もし出せないままだと、そのうち、そのうちで終わってしまうと思いました。
何が何でも、どんなものでもいいから出さなきゃと必死でした。

やはり自分ではワードの操作方法がわからないのでそこから勉強していたのでは到底間に合いそうになかったので、
当社の販売管理などのオリジナルソフトを作ってもらっているZサービスさんの専務さんに相談しました。

とにかく「あなたレター」を出したいので、
「中身の文章は私が考えるから、それを載せる枠組みと最低の操作方法だけでいいから教えて下さい。」
そして、Zサービスさんに教えてもらいながら、ついに私の“どんまい どんま〜い”の第一号が完成しました。

その時は、第一歩を踏み出せた喜びで感無量でした。
「これでなんとか続けられそうだ」
私は翌年からの一年間が自分にとって新たなスタートの年になると確信しました。
それから、スタートした時、2ページだった“どんまい どんま〜い”ですが、毎月作るうちに、
作る事が楽しくなってきました。

3月にはあなたレターの素晴らしさを御客様のK工務店様の社員32名様に,
勉強会という事で私が作ったそれまでの“どんまい どんま〜い”を持参してお話しして来ました。

4月号はその時K工務店様で話した講演の内容を紹介しましたので4ページに増えてしまいました。
翌月からずっとそのまま4ページのままです。

この「どんまい どんま〜い」を続けて行く内に、私は自分自身を見つめるようになってきました。

毎月、自分の気持ちや出来事を載せているうち、家族の事や社員の事が、
今まで何も見えていなかったことに気づき始めました。

自分の事を御客様に紹介し続ける事は、自分自身も見つめ直す事にもなり、日頃の自分がさらけ出されて行きます。日頃自分がどんな気持ちで行動しているのか御客様に丸見えになって行きます。

うわべや繕いの文章では、毎月出し続ける事は出来ません。
自ずと自分の姿が映し出されてきます。
“どんまい どんま〜い”のおかげで私は改めて自分の生活や行動を見つめ直す事になりました。

2009年01月13日

素晴らしい人との出会いから一番大切な事を実践

素晴らしい人との出会いから

今一番大切だと思って実践している事



平成19年の12月に青森のTさんのお誘いで、Tさんの講演を聞きに東京までいってきました。
私は今までは会社の仕事が忙しいので、ほとんどのセミナーとかイベントの御誘いは断ってきました。
しかし、このTさんのマーケティングの考え方は私にはものすごく魅力に感じられ、何が何でも
聞いてみたいと思っていました。
そのTさんのセミナーで私は運命的な出会いを感じる素晴らしい人に出会えました。
最初に講演をされたのは、Tさんではなく木戸先生だったのです。

木戸先生の講演は「あなたレター」というツールを使ってお客様と自分の心の交流を図るものでした。
木戸先生は「なぜか挨拶だけで売れてしまう営業法」など多数の本を出版され、
アマゾンドットコムで売上トップを独占した実績を持っておられる素晴らしい人でした。

その講演の内容の「あなたレター」というツールは、ニュースレターとは異なり、
品物や企画などの案内をしないものでした。
今までうちの会社でも毎月、商品紹介のチラシをつくり請求書と一緒に同封して御客様に送っていました。
そのチラシを御客様に届ける事は、商品情報を発信するのが当社の役目と思っていたからでした。
その内容は、あくまで商品が中心でその商品を販売する私達の気持ちは何もありませんでした。

ところが木戸先生の「あなたレター」は商品の紹介や売り込みは一切載せないようにするのです。
あくまでも自分の気持ちや出来事を中心にまとめて御客様に届けるのです。
つまり、木戸先生の「あなたレター」は自分の心を御客様にお届けするものでした。
私は、講演を聞いているうちに、「これだ。」と思いました。

日頃の忙しさでまったく御客様に挨拶周りをしていないので、
この「あなたレター」がその代わりをしてくれると思いました。

木戸先生は「あなたレター」を出し続ける事で、
御客様から「あなたから買いたい」という気持ちを引き出してくれると教えてくれました。

 木戸先生の後にTさんの講演がありましたが、Tさんの講演はブログをやる事でしたので、
今の私はまず、木戸先生の「あなたレター」を自分の物にする事が先で、
その次に「あなたレター」が自分なりに出来るようになってから、ブログに挑戦しようと思いました。

2009年01月12日

お客様へ感謝の気持ちから商品勉強会開催

御客様への感謝を込めて商品の講習会開催

(その為に何度も勉強)


御客様に対しては、商品の講習会を何度も各地区で行いました。
新製品がどんどん出てくるので、
情報提供する立場にある私がその役目をしっかりやる事が、
御客様の信頼を得る方法だと考えたのからでした。

メーカーに頼んでビッグウイングを会場にして講習会を開催もしました。

また、流通団地会館で展示会もやりました。
この時は、展示会場が二階で階段しかないことに何の疑問も持ちませんでした。
ところが、当社の社員が慌てて私を呼びに来た事で、私の判断の甘さを思い知らされました。

車椅子の御客様が来場されたのです。
その時初めて階段しかない事にはっとしました。
案の定、その車椅子の御客様は
「エレベーターはないのですか。」
私:「大変申し訳ございません。この階段しかありません。
宜しければ我々が持ち上げて二階までお連れしますがどうでしょうか。」
車椅子の御客様:
「バリアフリーの商品を展示している会場がバリアフリーの事、全然対応していないじゃないか。
こんな事にも配慮出来ない展示会場なんか見なくても大体わかる。」
と言ってそのまま帰っていってしまいました。

その時は、その場でしばらくぼう然としたままでした。
まだまだ、私の配慮が欠けていました。
この事は、いつまでも私の心に鮮明に刻まれています。

その後の展示会はメーカーの展示会に御客様をお連れする事にしました。
もし、また当社で展示会を開催する事があれば、一階に限りたいと思います。

この一連の講習会や展示会は、決して物を売る為の企画ではありませんでした。
ちょっと配慮がたりなかったこともありますが、
本当に御客様の為になるように考えて準備しました。

その経費は、決して無駄にはなりませんでした。
御客様も商品知識の豊富さに当社を再認識してくれました。
そして御客様にこのメーカーの商品は、
株式会社タケダが力を入れて販売しているという事を強く印象づける事が出来ました。

各メーカーも山形県からの話が来ると、当社を紹介してくれるようになりました。

2009年01月11日

毎朝6時から7時までカタログで商品勉強をする

毎朝6時から7時までカタログで商品勉強を続ける



それから、また他のメーカーと約束していた設計事務所様への商品紹介を一応全部こなしました。
その時にもよく設計事務所の先生に聞かれた事ですが、
「武田さんがこのメーカーの代理店なのですか。
図面にこのメーカーを指定したら、武田さんに注文がいくのですか。」という質問でした。

その質問に対して私は
「いいえ、どのルートでこの商品が流れるのかはまったくわかりません。
こちらのメーカーとの同行で商売をしていくつもりもありません。
ただ最新の情報を直接持参できる事で、
山形の地域が他県よりも先を行けるようになればいいと思っています。
ついでに私もいっしょに勉強させてもらい、自分の今後につなげて行きたいと思っています。」
という返事をしました。

その言葉に同行していた各メーカーの担当者は大変感激してくれまして、
本社へ報告されたようでした。
その後、何か困ったことや頼みたいことが出た時は、
本当に各メーカー様が私を支えてくれました。

そして、設計事務所の先生から質問されて冷や汗をかいたことで自分の勉強不足を認識したので、
その後から、わたしは毎朝6時から7時まで1時間各メーカーのカタログを見るようにしました。

その朝の1時間の勉強を1年間続けました。

その後電話で設計事務所様から質問が来た時は、
どのメーカーのカタログのどのへんに質問の商品が載っているか答えられるようになり、
大いに信頼を回復していけました。

2009年01月10日

設計事務所様へ各メーカーと同行

設計事務所様へ各メーカーと同行、

その時の冷や汗から学んだ事。


次に私が挑戦した事は、設計事務所様へ各メーカーを連れて行き、
山形に最新の情報を提供する事でした。
初めて設計事務所様へ挨拶に行った時は、次から次と私が考えもしなかった質問を受け、
冷や汗が出て真っ青になりました。

設計事務所の先生:
「この商品は和風の趣がないように思いますが、武田さんはどのような所にどのような用途で使ったら、
和風の感じが出ると思いますか。」
私:「え〜……、そうおっしゃられるとそうかもしれません。
      でも……、店舗などの入口などではどうなんでしょうか。」
自分で何を言っているのか、訳がわからないまま答えられる精一杯の返事をしました。

その時は、どのように答えたらいいのか、頭にいっぺんに血が上って体がガチガチになりました。
その設計事務所様を出た時、本当に首が回らなくなってしまいました。
ものすごい肩こりがして、顔面蒼白の状態でした。
自分の勉強不足に愕然として、せめて自分の扱う商品ぐらいは、
設計事務所様に質問されても答えられるようにしていかないと、
相手にしてもらえなくなると思いました。

2009年01月09日

二代目としてまずやった事。仕入先との関係について

二代目としてまずやった事。

(仕入先との関係について)


私が山形に帰って来てから二代目としてどのようにやっていったらいいか、いろいろ考えました。
まず最初にやろうと思ったのは、仕入先に対しての支払い方法でした。
自分が集金してきて、一番うれしいのはやはり現金でした。
仕入先が安心して売ってくれる環境を作るには絶対に手形の支払いは出来ないと思っていました。
他より安く仕入れ出来るかどうかは、仕入先が私に安心して売れるかどうかだと思っていました。
いくら大量の注文をもらっても支払いが手形ではどうしても不安で、
そう安くばかり出来ないと思います。
自分が安くしてもらいたかったら、その気持ちを態度で示さなければならないと思いました。
それを実行するには、やはり支払いしかないと思いました。
そこで私は一切、手形を切らない事を全ての仕入先に伝えました。
今まで親の代では、たまに手形も振り出していましたが、
私は「手形を振り出して支払いしなければならなくなったら、商売をやめるつもりです。」
と各仕入れ先に宣言しました。

宣言する事で自分を崖っぷちに置いたのでした。

予想していた事ではあるのですが、当然売り上げが増えてくると集金する前に支払いが先行していきますので、
一生懸命売れば売る程、現金支払いを継続する事は簡単なことではありませんでした。

しばらくは、自分のこずかい無しでも、仕入先への支払いを優先して、
自分は毎日食べられて、生活さえ出来ればいいという感じでした。
その気持ちが仕入先にもわかってもらえるようになり、
品物が不足している時は他社より先に品物を回してくれたり、他社よりも、安く収めてくれるようになって来ました。
仕入先の信用を得るにはやはり支払いしかありませんでした。
仕入先との信頼関係は初代の信用だけではなく自分の行動そのものでした。
二代目自身の覚悟を示さなければならないと思いました。

仕入先は二代目になったら、どうしていこうとしているのか心配になると思います。
私が仕入先に宣言した事は、各メーカーにも徐々に伝わりメーカーが直接取引きしたいという話が来るようになって来ました。
当然メーカーと直接取引きをするからには、
毎月それなりの金額を仕入れしていかなければならないのでその売り先を増やしていく努力も必要でした。
新規開拓を積極的にこなし徐々に社員も増えていき毎年売り上げが増えていきました。

初めて年商一億を超えた時は、感慨無量でした。
現在はメンバー13人で年商3億7千万円までになりました。
その間、約束した通りの支払いを継続してきました。

平成14年5月期決算の時には、帝国データバンク(支店長が知り合いだったので)より
「株式会社タケダ様が自己資本比率で県内第4位です」と連絡をもらいました。
私自身も思いもよらないうれしい報告でした。
自己資本率の高さは支払能力の高さでもあり、会社の信頼度には必ずチェックされる項目です。

この報告をもらって、私は逆に樺骰巣fータバンクを利用して、仕入先がうちの会社の調査をした時、
この会社なら安心してどんどん売り込み出来ると思ってもらえるように、
樺骰巣fータバンクに毎年決算書を送ってやろうと思いました。
そして今も、毎年決算書を送り続けています。
そのおかげで、いろんな新規のすばらしいメーカーが
当社に新規取引の依頼をしてくれるようになって来ました。

こちらから、御願いしなくとも、メーカー側から当社を探して来てくれたのです。
堅実経営を継続する事がいかに大切なことか改めて感じました。

また、仕入先には決して買ってやるといった「おごりの気持ち」を持ってはいけないと思っています。
その気持ちは相手に伝わりこちらが困った時、
たとえば他社との競合で単価競争になった時とか品切れ商品を早く入手したい時とか
自分ではどうする事も出来ない時に日頃の付き合い方で仕入先が動くと思っています。

仕入先とは、常に協調互敬の精神で接していかなければならないと思っています。
常に相手の立場に立って物事を考えていけば、おのずと自分に帰ってくると思いました。

2009年01月08日

二代目として、考えてきた事

二代目として、考えてきた事。


話しは少し前後しますが、私がS金物さんで修行させてもらってから、
ずっと二代目としてどのように考えてきたか簡単に紹介したいと思います。

二代目の立場は、よく初代の築き上げた土台の上にそのまま乗っかるだけで、
初代の築き上げる苦労がないので、楽な立場だと言われる方がおられます。
私は、その言葉に素直にそうですねと同感できません。
二代目はいつも初代と比較され、ここまで築き上げたのは初代の力で、
二代目はただその継続をしているだけという評価だけで、
どうしてもその継続していく苦しさを理解してもらえません。
二代目は現状維持で継続していくのは当たり前で、
世間の人からは、大したことのない二代目だと評価されます。
二代目は初代の業績を伸ばしていって初めて、なかなかやる二代目だと評価されます。

それが「業績が下がろうものならあの二代目はだめだ」
と、レッテルを貼られてしまいます。
初代は自分のやりたいようにやれますが、二代目は慎重に絶対に失敗は出来ないのです。
初代が築き上げたものをさらに伸ばしていかなければならないのです。

私は二代目も「二代目という初代」だと思っていました。
初代が築き上げたものをしっかり認識して、その中から引き継ぐべきところは、取り入れて、
後は全て自分の考えで新しい流れを築き上げていかなければ、
継続すら出来ないと思っていました。

親の後を継ぐという事は、親と同じ事をするという事ではないと思います。
親が出来なかった事をする事だと思います。
決してむちゃな事をやるのでもなく、常に新しい事に挑戦していかなければならないと思っています。
その常に挑戦する気持ちが初代と同じだと思っています。

ただ二代目は決して失敗は出来ないので、
慎重に常に周りの人の話を聞きながら、
挑戦していくようにしなければならないと思っていました。

2009年01月07日

修行を終えて山形に帰って来て

山形に帰ってきて

このS金物さんを退社して、山形に戻って山形市の駅裏の城南町で金物屋の家業を継ぎました。
両親と私の3人だけでした。

帰って間もない頃、S金物の東京支店長がうちの仕入先として、挨拶に来てくれました。
その時、一言「武田君、山形に帰って来て、のんびりしたんとちゃうか」
私「そうですか。これからは一生続けていけるようにやりますので」

私はS金物さんで商売のノウハウを身につけたつもりで、自分なりに自信に満ちていましたが、
間もなくその気持ちがあまい事に気づかされました。

御客様に配達に行き、
注文を頂く品物が今までS金物さんで扱ってきた商品とまったく違う商品がほとんどだったのです。
S金物さんは、ホームセンターに降ろしている問屋さんを御客様に商売をしていたのですが、
武田金物店は建具屋さんの御客様が多く、専門の商品の為、
今まで覚えてきた商品はほとんど役に立ちませんでした。

ある御客様から「大阪で修行してきたんだべ。こんな品物もわかんねのか」
と言われて、ちょっと悔しい思いをしました。
その御客様からの帰り道、私は山形でまた最初からやり直しだなぁと思いました。

そして二十代最後の頃、私はまだ独身でしたが念願の城南町から久保田へ最初の店の移転をしました。
大晦日から正月の8日間の間に私一人で店の商品を全部引越ししました。
両親は正月位、のんびり温泉に行きたいとの事で、温泉に出かけていってしまったので、
まったく私一人でした。
確かに、年中無休でしたので、正月くらいはのんびりしたいのは当然で、両親にしてみれば、
正月休みは、毎年の楽しみでしたので、仕方ありませんでした。

私は雪のふる中、小型トラックに朝から晩まで積んでは降ろしして運びました。
そして新しい店の棚に並べてなんとか正月明けには
今度の移転先で商売がスタート出来るように必死でやりました。
弁当を買いに行くのも時間が惜しいので一日分の三食を一回で買って来て、
寒い倉庫で一人で食べていました。
夕食の弁当は冷たくなっていてブルブル震えながら食べていました。

引越しの為に営業を休んで御客様に迷惑を掛けたくなかったのでした。
近所の人はそんな私の姿をどんなふうに思ったでしょうか。

夜逃げには見えないし、正月早々良くやるなぁ……なんて思っていたのかなぁ。

2009年01月06日

修行三年と半年でやり遂げた思い

修行三年と半年でやり遂げた思い

この後、御客様のT商店様からも
「武田君、何やってんだ。あんまりやりすぎじゃないのか。無理しすぎんなよ」
と心配してもらいながら、いろいろアドバイスをもらいました。

いくら精一杯頑張って仕事をしても事故を起こしては何にもなりません。
自分の二度の体験でつくづく身にしみました。

それからは、また自分のペースでくれぐれも事故を起こさないように注意しながら、
営業の仕事を続けました。

私は山形に帰ってからも御世話になっていながら、車二台も廃車にしてしまった事に対し、
なんとかS金物さんに私が注文して少しでも返して行こうと心に誓いました。


そんな失敗もいろいろありましたが、入社して丸3年が過ぎた頃には、
全社(全国で確か100人以上の営業マンがいたと思います)の営業マンで、
一番の営業成績を上げる事が出来ました。
(ノルマ達成率で300%以上になっていました。)

3年目が過ぎたので約束通り、退社したい話をしたら、
東京支店の新社屋落成記念展示会を半年後に考えているので、それまでいて欲しいと言われました。

私は恩返しと償いのつもりで、あと半年間は、新社屋落成まで精一杯、会社の為に営業をして行こうと思いました。
そして、私は新社屋落成の後に会社を辞める事を私の担当のお客様へ話して回りました。

そうしたら、どのお客様も私の為に送別会をしたいと言ってくれました。
私の営業はお客様の為に必死で働く事でした。
その姿を見てお客様は喜んで注文をしてくれました。

いろんな御客様から送別会をしてもらいました。 

そのたび飲みすぎてアルコール中毒にでもなってしまいそうでした。
中でもT.S商店様の送別会ではT.S商店様の社員全員が一緒に一泊して記念品までもらっての送別会でした。
今でもその時、記念にもらった時計は私の枕元にあります。

S金物さんでいろんな経験をさせてもらい、私は商売のやり方に自信を持って山形へ帰れる喜びをかみしめていました。

2009年01月05日

二度目の居眠り運転で大型トラックに追突

二度目の居眠り運転で大型トラックに追突


そんな営業が面白くて夜昼関係なく御客様の所におじゃましていました。
ところが本当に恥ずかしい話ですが、営業担当になった三年目の夏にも、青梅街道で居眠り運転をして、
また停車中の四トントラックに追突してしまったのです。

その時は、前にボンネットも何も無い運転席の前がすぐフロントガラスのタウンエースに乗っていました。
居眠りして追突する瞬間に、不思議な事に何故か無意識にハンドルをわずかですが、右側に切っていました。
この時も全然ブレーキをかけないまま追突したのですから、その衝撃は大きく、
ぶつかった瞬間にフロントガラスが割れて私は頭から血を流していました。
それでも意識は、はっきりしていたので、
その時ふと助手席を見たら助手席のフロントが助手席まで張り付くようにつぶされ
フロントガラスも割れてまったくなくなっていました。

もし、ほんの少しでも右にハンドルを切らなかったら多分即死していただろうと思いました。
その時背筋がゾーッとして、自分には守ってくれている守護神のような人がいるんじゃないかと思ってしまう程でした。
その時は、車から自力で降りて追突したトラックの運転手さんに謝り、その後に警察に電話をして、
会社の店長にも連絡して脇の歩道で血を拭きながら待っていました。
トラックの運転手さんも私が血を流しているので怒るどころか逆に心配してくれました。

最初に救急車が来て私を病院に連れて行ってくれました。
すぐ処置室に連れて行かれ検査をして頭の切れたところを縫ってくれました。
その時は、ちょうど「東京サミット」の開催の日でした。
事故の後、店長とトラックの運転手さんに改めてお詫びに行きました。

その帰りに、店長が私に教えてくれました。

「武田、武田が一生懸命、やってんのは良くわかるんやけどなぁ。
こんな事故を起こしたらあかんねん。
商売は“あきない”といってなぁ。毎日無理せずあきないでコツコツ積み上げていくもんなんよ。
無理しすぎは長続きせーへんよ。これから一生商売やっていくんやろ。
無理して、事故起こしたら何にもならんよ。」

 
私は三年で大阪商人の商売のやり方を身に着けて山形に帰る事ばかり考えていました。
三年で五年分の仕事をして会社に恩返しをして、胸を張って山形に帰りたいと思っていました。
その気持ちがつい無茶なペースでやりすぎていたようでした。
三年と半年の内に会社の車を二台廃車にしてしまいました。
いくら働いても恩返しにならない位の損害を与えてしまいました。

私は自分が運転に向かない人間なのかなぁと本気で悩んで、
運転するのが怖くなってしまうくらいでした。

2009年01月03日

修行三年目でいよいよ営業できる喜び

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二年目の店頭の仕事でもいろんな経験をさせてもらい、
いよいよ最後の三年目にようやく営業をさせてもらえる事になりました。
ただ、私の担当の御客様は都心から離れた場所の御客様ばかりで、しかも配達とかねての営業でした。
それでも、やっと営業できるとの思いで、毎日がうれしくて仕方がありませんでした。

そして、時間を気にせず、蕨市の御客様にも夕方が都合いいといわれれば夕方に行き、
夕食までご馳走になりながら商売の話をしました。
私は、1年間の「店頭」の仕事を任された事で、営業にも私なりに自信を持っていました。
千葉の新規開拓した御客様にも土曜日に営業にいってそのまま一泊までさせてもらいました。
埼玉の御客様は日曜日でないと話が出来ないと言われれば日曜日に行って商談していました。

世田谷のT商店様からは、良くマンションに泊めてもらい、T商店様には子供がいなかったので、
「武田君が養子にでもなってくれるといいんだがなぁ」なんて言われて、まるで息子のように接してもらいました。
T商店様とは一緒にマージャンをしたり、
T商店様が会長をしている金物卸組合の総会にも私を連れて行ってもらいました。
そして皆さんに紹介してもらいました。
私は、そこで商品説明をして、皆さんに注文をもらう事が出来ました。
そして新規に取引させてもらえる御客様も出来ました。
その時も、T商店様から、一番最初に「よし、その商品うちでもらうよ」と景気付けに注文をもらっていました。
うちの会社でその会合に出席出来たのは後にも先にも私だけでした。

私が会社を辞めてしばらくしてから聞いた事ですが、
この組合さんとの私の取り組み方は東京支店の伝説になっていたようでした。

また三多摩方面のT.S商店さんでは、うちの会社で納品している商品の在庫管理まで私に任せてもらいました。
T.S商店様へ行くとうちの会社で納品している商品が置いてある棚を全部調べて、
在庫数を報告して、補充する数もT.S商店様の店長に報告して了解を得て、
さらに新しく在庫してもらいたい商品の説明をして、注文してもらえました。

また、N商店様の専務様からは、私が直接専務様まで顔出しに行って商品説明を熱心にするので
(いままでのうちの営業マンはN商店様の店の係りの方に話すだけでした)すっかり気に入ってもらい、
やはり専務様のマンションに呼ばれて、
専務様の北海道のゲレンデで華麗に滑っているスキーの映写などを見せてもらいながらご馳走してもらいました。

そんな事をしてもらえたのは、私だけでした。

また、N.Rセンターさんの奥様からは、良く私が会社を出てからは、
ネクタイをはずしワイシャツまで脱いでランニングシャツ一つで御客様の棚の整理をしたりしながら配達と営業をしていたので
「そんな格好で東京を走っていたら女の子にもてないよ。」なんて言われながら、いろんな商売のノウハウまで教えてもらいました。
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