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2008年11月16日

私のプロフィール(金物業界に入って)

武田英昭プロフィール
金物業界に入ってから、武田英昭の30年の歩み




潟^ケダの前進は両親の武田金物店



こんにちは、私は、潟^ケダの代表取締役、武田英昭と申します。
現在総勢13人で金物卸業を経営しています。
私も武田金物店(両親だけで商売していた時の名前です)の二代目として、
悩み苦しみ、また喜びながら現在に至っております。

私の二代目としてこの道に進む決心をしてから、
現在までの30年間のエピソードや感じたことをこれから話させて頂きます。


初代私の父「武田作助」の意気込みから私の心へ


私の家は、両親と妹と私の4人家族でした。
私の父は無一文からスタートしました。
実家が鍛冶屋だったので、そこで打った刃物を売る事から始まりました。
行商をして「カンナ」とか「ノミ」を売っていたそうです。
時には、隣りの県の秋田県の駅に自転車と道具を貨物で送って、
そこから荷台に積んだ道具を自転車に乗って青森県まで売り歩いたそうです。
食事は自転車に乗りながら、片手でコッペパンを食べながら、
夜どうし走って頑張ったそうです。宿代を惜しんで駅のベンチで寝た事もあったそうです。
3年間、ソ連の捕虜となっていた為、
周りで餓死して行った同僚の事を考えると、どんなつらい事も、苦にならなかったそうです。

そんな家族だったので貧乏は当たり前でした。
それでも、両親が頑張って働いてくれて、私が高校1年の時にやっと30坪程の店舗兼住宅を新築してくれました。
私は、その頃は、家業を継いだほうがいいのか、まだ迷っていました。
大学生(奨学金をもらいながらの貧乏そのものの学生でした)になっても、まだ自分の将来について決めかねていました。
大学2年の時、教職課程の単位を1年間とりました。
しかし3年の時、せっかく1年間とった教職課程をやめてしまいました。

その時、わたしは、家業を継ぐ決心をしたのです。
金物屋を継ぐのに教職免許は必要ない、逆にへんに免許なんか持っていると、
商売がちょっとうまくいかないと、いやになり教職免許の事を考えてしまうのではないか、と思ったからでした。
自分自身を逃げ道のない崖っぷちに立たせたほうが真剣に家業に専念出来るだろうと決断したのです。

それから卒業と同時に商売の本場の大阪へ修業に行く事にしました。
この会社で自分自身が商売に向く人間なのか、親の家業を継いで大丈夫な人間なのか
、自分自身を試してみようと思ったからです。

私が就職した会社の社長さんは、大阪の金物団地を作り金物町という地名まで作り上げたすばらしい社長さんでした。
その会社の就職の面接時に、社長さんから、この会社を選んだ理由を聞かれました。
私は、自分自身の修行の為に、山形からこの大阪へ来た事.
そして3年間働いて山形へ帰って親の後を継ぎたい事を話しました。

その時、社長さんは、「武田君、大阪の商売を覚えるのには最低5年はかかりますよ。」とアドバイスをしてくれました。
そこで私は「他の人が5年間で覚える事を3年間で覚えてみせます。
そして会社へ5年分の恩返しをします。」と返事しました。

その返事にさすがに社長さんも驚いて私を採用してくれました。
それからの3年間は、自分が納得いくまで日曜日も関係なく、がむしゃらに働きました。

そして3年目で全社(全国で確か100人以上の営業マンがいたと思います)の営業マンで、一番の営業成績を上げる事が出来ました。
(ノルマ達成率で300%以上になっていました。)
3年目が来たので約束通り、退社したい話をしたら、東京支店の新社屋落成記念展示会を半年後に考えているので、
それまでいて欲しいと言われました。
私も恩返しのつもりで、新社屋落成まで精一杯会社の為に営業をして行こうと思いました。

私が会社を辞める事を私の担当のお客様へ話したら、どのお客様も私の為に送別会をしたいと言ってくれました。
私の営業はお客様の為に必死で働く事でした。
その姿を見てお客様は喜んで注文をしてくれました。
あるお客様の送別会ではその会社の方全員と一泊して記念品までもらっての送別会でした。
今でもその時、記念にもらった時計は私の枕元にあります。


家業を継いで12倍の年商に



この会社を退社して、山形に戻って山形市の駅裏の城南町で金物屋の家業を継ぎました。
両親と私の3人だけで年商もその時は、三千万円程度でした。
それから二度移転して、現在はその当時の12倍の年商になっています。


二代目として、どう考えていくべき

二代目の立場は、よく初代の築き上げた土台の上にそのまま乗っかるだけで、
初代の築き上げる苦労がないので、楽な立場だと言われる方がおられます。
私は、その言葉に素直にそうですねと同感できません。
二代目はいつも初代と比較され、ここまで築き上げたのは初代の力で、
二代目はただその継続をしているだけという評価だけで、
どうしてもその継続していく苦しさを理解してもらえません。
二代目は現状維持で継続していくのは当たり前で、
世間の人は、大したことのない二代目だと評価します。
二代目は初代の業績を伸ばしていって初めて、なかなかやる二代目だと評価されます。
それが「業績が下がろうものならあの二代目はだめだ」
と、レッテルを貼られます。
初代は自分のやりたいようにやれますが、二代目は慎重に絶対に失敗は出来ないのです。
初代が築き上げたものをさらに伸ばしていかなければならないのです。
私は二代目も「二代目という初代」だと思っています。
初代が築き上げたものをしっかり認識して、その中から引き継ぐべきところは、取り入れていきますが、
後は全て自分の考えで新しい流れを築き上げていかなければ、継続すら出来ないと思っています。

親の後を継ぐという事は、親と同じ事をするという事ではありません。
親が出来ない事をする事だと思います。
決してむちゃな事をやるのではなく、常に新しい事に挑戦していかなければならないと思っています。
その常に挑戦する気持ちが初代と同じなのです。
ただ二代目は決して失敗は出来ないので慎重に常に周りの人の話を聞きながら挑戦していくようにしなければなりません。



二代目として挑戦してきた私の事例(仕入先との関係について)


私が今まで二代目として挑戦して来た事を、いくつか御紹介したいと思います。
まず、最初に始めようと思ったのは、仕入先に対しての支払い方法でした。
自分が集金して一番うれしいのはやはり現金です。
仕入先が安心して売ってくれる環境を作るには絶対に手形の支払いは出来ないと思っていました。
他より安く仕入れ出来るかどうかは、仕入先が私に安心して売れるかどうかです。
いくら大量の注文をもらっても支払いが手形ではどうしても不安で、そう安くばかり出来ません。
自分が安くしてもらいたかったら、その気持ちを態度で示さなければなりません。
それが支払いなのです。
そこで私は一切、手形を切らない事を全ての仕入先に伝えました。
今まで親の代では、たまに手形も振り出していましたが、
私は「手形を振り出して支払いしなければならなくなったら、商売をやめるつもりです。」
と各仕入れ先に宣言しました。

宣言する事で自分を崖っぷちに置いたのです。

当然売り上げが増えてくると集金する前に支払いが先行してきますので、
一生懸命売れば売る程、現金支払いを継続する事は簡単なことではありませんでした。
しばらくは、自分の給料無しでも、生活さえ出来ればいいという感じでした。
その気持ちが仕入先にもわかってもらえるようになり、
品物が不足している時は他社より先に品物を回してくれたり、他社よりも、安く収めてくれるようになって来ました。
仕入先の信用を得るには支払いしかありません。
仕入先との信頼関係は初代の信用ではないのです。
二代目自身の覚悟を示さなければならないのです。
仕入先は二代目になったら、どうしていこうとしているのか心配しています。
私が仕入先に宣言した事は、各メーカーにも徐々に伝わりメーカーが直接取引きしたいという話が来るようになって来ました。
当然メーカーと直接、取引きをするからには、
毎月それなりの金額を仕入れしていかなければならないのでその売り先を増やしていく努力も必要でした。
新規開拓を積極的にこなし徐々に社員も増えていき毎年売り上げが増えていきました。

初めて年商一億を超えた時は、感慨無量でした。
現在はメンバー13人で年商3億7千万円までになりました。
その間、約束した通りの支払いを継続してきました。

平成14年5月期決算の時には、帝国データバンク(支店長が親友だったので)より
「株式会社タケダ様が自己資本比率で県内第4位です」と連絡をもらいました。

私自身も思いもよらないうれしい報告でした。

堅実経営を継続する事がいかに大切なことか改めて感じました。
仕入先には決して買ってやるといったおごりの気持ちを持ってはいけません。
その気持ちは相手に伝わりこちらが困った時、
たとえば他社との競合で単価競争になった時とか品切れ商品を早く入手したい時とか
自分ではどうする事も出来ない時に日頃の付き合い方で仕入先が動くのです。

仕入先とは、常に協調互敬の精神で接していかなければならないのです。
常に相手の立場に立って物事を考えていけば、おのずと自分に帰ってきます。


設計事務所様へ各メーカーと同行、

その時の冷や汗からその後の私の実践


次に私が挑戦した事は、設計事務所様へ各メーカーを連れて行き、山形に最新の情報を提供する事でした。
初めて設計事務所様へ挨拶に行った時は、
次から次と私が考えもしなかった質問を受け、冷や汗が出て真っ青になりました。
どのように答えたらいいのか頭にいっぺんに血が上って体がガチガチになりました。
その設計事務所様を出た時、自分の勉強不足に愕然として、
せめて自分の扱う商品ぐらいは、設計事務所様に質問されても答えられるようにしていかないと、相手にしてもらえなくなると思いました。
それから約束していた各メーカーとの設計事務所様周りを全部こなしました。
そこでよく設計事務所の先生に聞かれた事ですが、
「武田さんがこのメーカーの代理店なのですか。
図面にこのメーカーを指定したら、武田さんに注文がいくのですか。」という質問でした。

その質問に対して私は

「いいえ、どのルートでこの商品が流れるのかはまったくわかりません。
こちらのメーカーとの同行で商売をしていくつもりもありません。
ただ最新の情報を直接持参して山形の地域が他県よりも先を行けるようになればいいと思っています。
ついでに私もいっしょに勉強させてもらい、自分の今後につなげて行きたいと思っています。」
という返事をしました。
その言葉に同行していた各メーカーの担当者は大変感激してくれまして、
本社へ報告されたようです。
その後、何か困ったことや頼みたいことが出た時は、
本当に各メーカー様が私を支えてくれました。
そして、設計事務所の先生から質問されて冷や汗をかいたことで自分の勉強不足を認識したので、
その後から、わたしは毎朝6時から7時まで1時間各メーカーのカタログを見るようにしました。
その朝の1時間の勉強を1年間続けました。

その後電話で設計事務所様から質問が来た時は、
どのメーカーのカタログのどのへんに質問の商品が載っているか答えられるようになり、大いに信頼を回復していけました。



御客様へ商品の講習会

(その為に何度も勉強)



御客様に対しては、商品の講習会を何度も各地区で行いました。
新製品がどんどん出てくるのに情報提供する立場にある私がその役目をしっかりやる事が、
御客様の信頼を得る方法だと考えたのです。
メーカーに頼んでビッグウイングを会場にして大々的に講習会を開催もしました。
さらに最近では流通団地会館で展示会もやりました。
この一連の講習会や展示会は、決して物を売る為の企画ではありません。
本当に御客様の為になるように考えて準備しました。
その経費は、決して無駄にはなりませんでした。

御客様も商品知識の豊富さに当社を再認識してくれたのです。
そして御客様にこのメーカーの商品は株式会社タケダが力を入れて販売しているという事を強く印象づける事が出来ました。
各メーカーも山形県からの話が来ると、当社を紹介してくれるようになりました




これからは全国のあなたの探し物を見つけられる事が私の喜び

得意分野は建具金物、家具金物、店舗金物、です。

これまで、この業界で勉強してきた私の商品知識と仕入れメーカーのノウハウで
あなたの探し物を見つけて、提供出来るように、このネットショップを充実して行きたいと思っています。

 是非、どんな古い品物でも構いませんので、電話して下さい。
全力で探します。
また、どんな事でも御相談下さい。私の出来る事全てを使って御返事を差し上げます。

あなたの「よく、探してくれました。うれしい!」という喜びの声が聞けたら最高の幸せです。

あなたに「このネットショップに出会えて良かった」と言ってもらう事が今の私の夢です。



    株式会社タケダ 代表武田英昭
posted by おもいこみ at 05:58 | Comment(0) | TrackBack(0) | はじめてこのブログを訪れた方へ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2008年08月06日

初めまして、山形の株式会社タケダの武田英昭です。

建具金物家具金物IMGP0972.jpgブログいくぞうIMGP1011.jpg初めまして、山形の株式会社タケダの武田英昭です。

私の会社は、建具金物、家具金物、店舗金物、建築金物などの金物資材を業者様に卸販売しています。
御客様に信頼され、頼りにされるように社員全員で日々努力しています。

私はさらに御客様から感謝されるようなサービスを、したいと真剣に考えています。
挨拶や注文された商品を確実に迅速にお届けする事などは、御客様が当然こちらに期待している事で、
きちんと対応して当たり前です。ここには信頼は生れてきますが、感謝までには、なかなか繋がらないと思います。

どのようにしたら御客様から感謝されるようなサービスが出来るのか御客様の立場から考えてみました。
「御客様が、こちらにそこまで望んでいない(期待していない)事でそれをもらう事で、
御客様がうれしくなり、元気になり、幸せになれる事をすればきっと感謝してもらえるんじゃないか」
と、ひらめきました。わーい(嬉しい顔)



そこで、紙面版“どんまい どんま〜い”という私の月刊誌を発行して配布する事を考えました。
その中身は、主に3つのことを載せています。

  • 読む人が元気になれればと思い、私のどじ話しなども含め“読む人の心にどんまいのエール”が届くようにしたいと思いどうでもいいような私の日常の姿を載せています。
  • 私の実践体験から少しでも健康になる為の大切な事を感じてもらいたいと、健康について私の思いや勉強した事を載せています。
  • l御客様に、よりうちの社員に愛着を持ってもらえればと思い、また私の社員に対する気持ちも御客様に伝えたいと思い社員を紹介しています。
以上のように、私の思いを乗せて配布しています。

 
何ヶ月かこの紙面版“どんまい どんま〜い”を配布しているうちに御客様から「毎月楽しみにしている。
家族全員で読み回しをして自分は最後にもう一度頭にしっかり入れるように読み直ししています。」
など、御客様から、うれしい感謝の言葉を頂けるようになりました。
「私が望んでいた御客様に感謝されるサービスが少しは出来たのかなあ」と感激しながら聞いていました。
御客様が喜んでくれるのが一番うれしい事です。
今度はこの“どんまい どんま〜い”をブログに載せて見てくれる人皆様に同じような喜びを、感じてもらえればとの思いでスタートしました。
私のブログを見て、何でもいいですからコメントや質問を頂けると大変うれしいです。
続ける励みになりますので、宜しく御願いします。
 

ここで、何故私が、もう一つのブログの大きなテーマ「健康について皆様にお伝えしようとしているか」御話ししたいと思います。
私には、知的障害児のかわいい娘がいます。わーい(嬉しい顔)
普通、親は子より先にあの世にいってしまいますよね。
私は、私達両親が亡くなった後の娘の事を考えるとどうしようもなく胸が苦しくなります。
いろいろ悩んでいるうちに、私が人間の潜在寿命の125歳まで長生きすれば娘も83歳になっているので、
娘の老後も確認出来ると思うようになりました。
 

この娘への思いから私は自分の体の健康について真剣に考えるようになり、実践するようになりました。
まだあまりそんな事を考えていなかった頃、左腕の痺れがひどく、我慢できなくなってきたのでMRI検査をしてもらいました。
その検査で首の神経が圧迫されていることがわかりました。
それから免疫療法に近い食事を心がけるようになり、起きていた左腕の苦しくなる“しびれ” も自然に消えてしまいました。
現在健康診断では、保健士さんから「こんな完璧に数字がどれも最高になる人はこの年齢ではめずらしいです。」と驚かれました。
自分の体に本当に優しい食事を考えるようになった結果だと思っています。
これも娘のおかげだと思っています。


この私のしびれは首の軟骨が神経を圧迫している為で、
病院の医院長は「直らないと思うので我慢するしかない」「動かなくなった訳ではないので手術するまででもない。」
とのアドバイスでした。その時は、地獄の底に落されたようなショックを受けました。
「苦しくなったらこの薬を飲んで下さい。」
と苦しさが和らぐ薬をくれましたが、私は薬はなるべく飲まないようにしているので医者からもらった薬はまったく飲まないで捨ててしまいました。
それから食事や飲み物などを改善して自身の体の治癒力を高めていった結果、自力で直したのです。
この事は自分の体の治癒力で軟骨を再生してくれたのではないかと思っています。
この事から食事の大切さを痛感しました。そしてこの事が私に自信と希望を与えてくれました。
 
 
この自分の体験から自分の体の健康について考えている方に、少しでも御役に立てればと思い健康促進のカテゴリーも追加しました。
現在当社の御客様や私の周りの人にも健康になって元気で生活してもらいたいとの強い気持ちで、いろんな話をしています。
 

もう一つのブログの大きなテーマは「金物」です。わーい(嬉しい顔)
私が建具金物・家具金物・建築金物の卸商社の仕事をはじめた理由は、
同業者の金物店さんがあまりやろうとしない、金額のこまかい商品のツマミやハンドルや鍵や丁番、引き手など、
手間がかかる割りに売上金額が上がらない商品をしっかりサポートする事で、
建築業界の中でなくてはならない大切な金物店になる事を目指し、専門職を強く出して他社との差別化をはかり独自の道
を進んでいけると考えたからです。今では同業の金物店さんが当社に注文してくれます。
この関係の金物の注文が来たら潟^ケダで頼めばいい、と思ってもらえるようになりました。同業者までも当社の存在を認めてくれるようになりました。

 
このブログを見て、「ためになった」「役にたった」と思って頂ければ大変うれしいです。一度見てくれた人が、又私のブログに何回も見に来てくれるようにお伝えしていきたいと思います。 


株式会社タケダ
武田英昭

posted by おもいこみ at 11:03 | Comment(0) | TrackBack(0) | はじめてこのブログを訪れた方へ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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