2010年03月27日

あぶあぶあの奇跡の試写会で涙

「あぶあぶあ」の奇跡という映画の試写会

この映画は神戸の街の知的障害者の人達が集まって音楽活動を通じて
人生を豊かなものにしていく物語でした。

殆どの人がダウン症の人達で、
小さい頃に頭に砂をかけられたりしていじめにあった経験があり、
親も子供も辛い思いをしていました。

でも、そんな人達が集まってコンサートを開けるまで、
長い時間をかけて練習して、
10年位してからコンサートを開けるまでになっていくのです。

決して、上手ではないのですが、
彼達の真剣な思いが聞く人達にビンビン伝わってくるようになって行きました。
「やさしい大人になりたい」そんな一途な思いがにじみ出て来ていました。

コンサートに参加した人たちが、「アンコール」の合唱が出る程の感動を与えるようになり、
遂に、アメリカのブロードウェイでコンサートを開くまでになりました。
そこでも、大変な人数の人が集まり、千人の会場が満員になり、
観客が感動で涙を流す人までいました。

私は、この映画を見ていて、知的障害は決して恥ずかしい事ではないと強く思いました。

そして、知的障害という大きなハンデを持った人達が逆に一般の人達に
これほどまで感動を与えられる事に驚きさえ感じました。
その、ここまで来るまでの家族や廻りの人達の苦労を思うと、ついつい、涙がこみ上げてきました。

本人たちもだんだん年齢が上がっていき、親達も老後の世代になり、
その親達が、この子のお陰で、頑張って生きて行けると話していたのには思わず、
私も自分の人生と重なるものを感じました。

私の娘が同じような年齢になった時、私も老人になっている事を思うと、
今、生きている事に感謝して、もっと娘にかかわっていきたいと思いました。

2010年03月22日

Fw: うれしい報告です。山形 武田英昭

知的障害の娘の為に今私が一番やるべき事がやっとわかりました。

  鈴木先生、井上様、エジソン・アインシュタイン協会の皆様に感謝します。
>
> 最近、私の行動で、何が今一番大切にしなければならないのか、
> やっとわかったような気がする武田英昭です。
>
> 鈴木先生との個人レッスンを受けてから、
> 私は相変わらず仕事最優先で、娘の「あみ」の事は女房にまかせっきりでした。
>
> 鈴木先生の素晴らしい指導方法を目の当たりにして女房もうまくやってくれると思っていました。
> しかし、たまに私が早く仕事をかたずけて帰ると、
> 「あみ」が泣きながら女房のフラッシュカードを見ていました。
>
> 女房は私が仕事ばかりで帰宅が遅いので、
> 自分が「あみ」を何とかしなければならないとの思いで必死で「あみ」にフラッシュカードを見せていました。
> その姿は女房にも「あみ」にも笑顔のかけらもなく、ただひたすらやり続けるだけでした。
> 「あみ」もやりたくもないのに無理やりやらされて、カードを見ないと母親に怒られるから
> 泣きながら見ている様子でした。
>
> この二人の姿を見ていて、私が「あみ」を女房にまかせっきりにしていた事に深く反省しました。
> 私が女房に「笑顔でやらないと駄目じゃない」と言うと
> 女房は「それじゃ、あんたがやってよ。いつも私にばかりやらせて」
> 「何もしていないくせに」
> 「理論ばかりで何も実践していないじゃない」
> と厳しくいいかえされました。
>
> さすがにその場で私には何も言う言葉がありませんでした。
>
> その次の日から、仕事を出来るだけ8時まで切り上げて、
> 残った仕事は明日に残してでも帰宅するようにしました。
>
> そして、私が「あみ」とフラッシュをするようにしたのです。
> 私は鈴木先生とのレッスンの雰囲気を大切にして
> 「あみさん、おはようございます。今日からお父さんがフラッシュをやりま〜す」
> と言って「あ、おはようございますじゃなかった。こんばんはだったね」
> なんて笑いながら始めるようにしました。
> そして、決して無理強いしないように楽しくやれるように気を使いながら、
> 途中で休憩タイムを作ったりしました。
> その週の日曜日には、100円ショップで積木等を買ってきてフラッシュの最後に楽しむ事にしました。
> サイコロも買ってきて最後に遊んでいます。
>
> 今、私が最優先に考えなければならないのは、
> 「あみ」と毎日フラッシュを楽しくやり続ける事でした。
>
> この一番大切な事を女房に投げていました。
> それがやっとわかってきました。
> それから、2週間位した今朝の話ですが、
> 私がいつものように「人参ジュース」を作っていると、
> 「あみ」が私のそばで「掛け算の九九を口ずさんでいるのです」
> 「にさんがろく、にしがはち、にごじゅう」なんて、それも音楽のリズムで口ずさんでいるのです。
> 私はうれしくなって一緒に口ずさんでしまいました。
> 掛け算の九九なんて「あみ」には一生出来ないと思っていました。
> それだけに、わからないまでも口ずさんでいる事が一筋の明かりのように思われました。
>
> それから、何と信じられないような事を「あみ」が言ったのです。
> 女房が、私と自分と「あみ」の三人の皿の内、「あみ」の皿にポテトサラダを山盛り持っていたのを見て、
> 「あみ」が「なんで、あみの皿にそんなにいっぱいもるの」と聞いてきたので
> 女房が「これからお父さんとお母さんの皿に分けるからね」と優しく返事をしたら、
>
> 何と「あみ」が「それじゃ、さんとうぶんだね」と言ったのです。
>
> その言葉には女房も私も飛び上がるほど驚きました。
> そして、ジワーと感激しました。
>
> それから、私がまた「人参ジュース」の人参の皮むきやレモンの皮むきをしていると、
>
> 「あみ」が「あみのジュースは」と聞いてくるのです。
> 毎朝、私達親にせきたてられるように、無理やりのまされていたEESのジュースを早く飲みたいというのです。
>
> この言葉に、私は涙が出る程うれしくなりました。
> 女房もうれしくて自然と笑顔になっています。
> その後、お母さんが「あみ」のジュースを作ってくれたので、早速のんでいました。
>
> それも喜んでのんでいるのです。
> これにも、本当にうれしくなりました。
>
> それから、数日前の事ですが、
> 「あみ」が私に「おとうさん、いつもありがとう、あみのために」
> 「しんぱいばかりかけてごめんね」
> なんて突然大人びた事を私にこっそり言ってきたのです。
>
> 私は思わず、「あみ」の顔をじっと見つめてしまいました。
> 確かに少し、前と違った感じがします。
>
> これからも、女房にまかせっきりにしないでしっかり私も「あみ」の為に時間を作っていきたいと思います。
> 鈴木先生の個人レッスンは本当に貴重な体験でした。
>
> あの個人レッスンを受けた事で、私は迷わずフラッシュカードをやれるように思います。
> そして、中学一年生の「あみ」でさえも変化し始めたように思います。
> これからもしっかり、「あみ」の様子を見てサポートして行きたいと思います。
>
> 「あみ」と女房の笑顔を作る為に今の私はいるように思います。
>
> 鈴木先生、奥様、井上様、浅井先生、エジソン・アインシュタイン協会の皆様
> 本当にありがとうございます。
>
> これからも、女房と楽しく「あみ」を導いていきたいと思います。
>
> 感謝します。
>
> 武田英昭
>
>

2009年12月29日

奇跡を起こす人鈴木先生と面談


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奇跡を起こす人!鈴木先生と面談

鈴木先生と個人面談する為、
茨城県水戸市にある「エジソン・アインシュタイン・スクール協会」の水戸本部に行って来ました。

鈴木先生は横浜国立大学大学院経営学研究科修士課程終了後、
桜美林短期大学等、数々の学校の講師をされた後に、
現在「つくば能力開発センター取締役所長」をされ、
「地球能力開発事業団団長」そして「エジソン・アインシュタイン・スクール協会」の代表もされています。
鈴木先生の著書も数多く出版されており、その実績は素晴らしいものです。

鈴木先生はこれまでの17年間に、
先天性で治らないと言われているダウン症や自閉症の子供の改善に独自の指導法を開発され、
その実践で実際にダウン症の子や自閉症の知的障害児を普通クラスに入れるまでに改善をされています。

これから本当に楽しみです。
鈴木先生、今後とも御指導宜しくお願いします。 



知的障害児の娘が私の人生の羅針盤になりました。

 私は知的障害を持って生まれてきた娘に感謝しています。
今のような気持ちに私がなれたのは娘のおかげです。

娘が知的障害児とわかってからは、その現実を受け入れられなく、
悩み、「なんで、なんで自分の子が」という思いを常に持っていました。
その思いは世の中から自分が差別されたような落ち込みようでした。

女房に対しても、
育て方が悪かったのではとか、自分の苦しみを女房のせいにしていました。
今は本当に女房には申し訳ない気持ちで一杯です。

こんな駄目な私が娘の老後を考えて、
自分達親がいつまでも娘と共に長生きしなければと真剣に考えるようになりました。
その為に本気で健康の事を勉強するようになりました。

また、娘の事を伝える事でいろんな方の助言も貰い、いろんな人に巡り合えました。
会社の仕事もそんな人のつながりで新しい事にどんどんチャレンジ出来るようになりました。

そして私自身が廻りの人にやさしくすることのうれしさを感じるようになりました。
今までは廻りの人に自分から優しい笑顔や言葉をかけていたでしょうか。
今の私はその一番大切な思いやりの心がしみじみとわかるようになりました。

こんな風に私が変われたのもすべて娘のおかげです。
本気で娘に感謝しています。
そして本気で娘の為になんでも出来る事はチャレンジしていきます。
そして、娘と共に知的障害を持って生まれてきた子供や、
その親の為に少しでも役に立つ事をしていければと考えています。

その為には今の会社の仕事をしっかり受け継いでもらえるように社員と息子に
私の考え方や商売の大切な心を伝えていきたいと思っています。 

2009年10月11日

あみと一緒に

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(^O^)/猿軍団のショ−をあみと一緒に見ました。
新聞の折り込み広告の中に山形駅の西口で、
猿軍団のショー開催のチラシがありました。

娘のあみは見たくて仕方がない様子で何度も私にせがみました。
私もたまにあみと一日ゆっくり過ごすのもいいかなぁと思いました。

午前中は私の知り合いのお見舞いに病院に一緒に連れて行ったり、
私の親友が出展している日本画の展覧会を見に行ったりして、
私の用事に付き合せて食事の後に、午後からこの猿軍団のショーを見に行きました。

見に来ている子供達は小学校以下の子供が多かったのですが、
あみの精神年齢はまだまだそのレベルですので、私も気にしないで見る事にしました。

ショーが始まるとあみは座っていられず、どんどん前の方に行きます。
そして実際に猿に触れる位の一番前の脇に立って見ていました。
よほどうれしいのか、猿に近づこうとして、触ろうとしています。

本当にあみは動物が好きなんだなぁと思いました。
連れてきてよかったなぁと思い久しぶりのあみと二人っきりの時間を楽しみました。

猿軍団のショーを見た後に、特別お母さんに内緒だよと言う事で、
二人だけの秘密にして、近くのレストランでナポリタンを一人分注文して二人で食べました。
食べ過ぎると夕食を食べなくなるので、お母さんにばれるからです。

一人分の注文しかしないのに、店の人は気を利かせて受け皿を二枚用意してくれました。
そして二人で仲良く食べました。
とても美味しく、娘と二人の時間が私にとってもとても癒されるような優しい時間でした。

あみ、いつもこんな風に出来なくてごめんね。

2009年09月24日

娘は私の人生の羅針盤

娘は私の人生の羅針盤
 
 娘の「あみ」が生まれた時は、待望の女の子で「やったぁ」と本当に喜びました。
上の二人のお兄ちゃん達がスポ小の野球で頑張っていたので娘を連れての応援でした。

「あみ」が保育園に入った頃から、話がうまく出来ない事や、お漏らしの頻度が多い事でなんかおかしい子だと思い始めました。
でも、保育園の先生は「ちょっと他の子より遅いだけですよ。そのうち追いつきますから」
と言って下さったので自分の不安を打ち消すようにしていました。

ところが小学校入学の段階で市役所から特殊学級を選択するかどうかの案内が届いたのです。
その時、はっきりと娘が知的障害を持っている事を思い知らされました。
娘は、ダウン症でも自閉症でもありません。一見すると全く普通の女の子です。
家の子に限ってそんな事はあるはずがないと、常に自分の不安を打ち消していました。

もっと早くその事を受け入れて娘の為に何か行動をとっていれば何か変わっていたかもしれません。
でもその時は何も出来ませんでした。
 その事実を認めても、まだ自分の心の中で受け入れきれなく、
女房の育て方が悪かったのではないかなどと女房を責めたりしていました。
自分がどれだけ不幸かと言わんばかりに女房を批判していました。
母親である女房はもっと苦しんでいたのに、その事すら自分はわかろうとしていませんでした。
そんな苦しみのどん底の中で、
私は自分がいかに高慢で人の心を理解しようとしない自己中心的な人間であるか自分の根本の心に気付かされました。
そして娘の「あみ」はそんな私に神様が「お前は思いやりの心がない。そんなお前の心を治す為に娘を授ける」
と私に授けて下さったんだと思えるようになったのです。

そして娘を私の人生の羅針盤になる大切な宝物だと思えるようになったのです。
娘と共に娘の老後までずっと付き合っていく為に、私自身の体の健康にも真剣に取り組むようになりました。
食べ物を食べる時の判断基準は、常に美味しい食べ物ではなく、体の為に良い食べ物かどうかに変わっていったのです。

そして、スペシャルオリンピックスの仲間との出会いで、
今まで健常者だけの世界しか知ろうともしなかった自分を恥ずかしいと思うようになりました。
知的障害者の家族との触れ合いを通して、
本当の自分の人生において自分に与えられた使命を考えるようになりました。
このまま、仕事ばかりに夢中になって一生終わるのではなく、
息子がしっかり修行を積んで戻ってきて会社を任せられる位になったら、私は会社を引退したいと思っています。
そして、女房と娘と共に知的障害者の人達が楽しく仕事をして、
本当の意味の自立が出来るような組織をつくりたいと真剣に考えるようになったのです。

その為に、今の会社をしっかりと盤石の物にして息子に引き継ぎたいと思っています。

そして会社の代表を引退してからの人生で、
具体的にどんな事をして行けば自分の思いがかなうようになるのかいろんな情報を得られるようにしたいと思っています。

知的障害者の人達が本当に自分達の仕事を通して世の中の人達に認めてもらえて、
喜んでもらえるという事を実感できるような仕事を考えていきたいと思っています。
健常者の人と共に知的障害者も楽しく働いて自分の人生を喜べるようになってもらいたいと真剣に考えています。
その私の人生の方向がぶれないように常に私には大切な娘が傍にいます。
私の人生の羅針盤として。私の生きがいとして。
「あみ、これからもずっとお父さん達と一緒に歩いて行こうね」 

2009年09月04日

犬と人間の関係

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「ハチ」の映画を見て涙が自然と出てきてウルウルになってしまいました。
何十年ぶりで、娘に誘われて映画を見てきました。

渋谷駅の銅像になっている「忠犬ハチ公」のアメリカ版でした。
大体のストーリーは想像していたのですが、
映画を見ている内に、不思議と「ハチ」の主人思いの気持ちが自分の思いのように感じられていました。
最後の別れの日を予感した「ハチ」は、
駅前の広場で今までやらなかったボール拾いの芸をして主人を引き留めようとしました。

そのハチの様子で私も「行かないで」と主人に叫びたい気持ちになっていました。
それ以来、主人は駅に戻ってくる事はなかったのですが、
「ハチ」はそれから十年間、毎日、同じ時間に駅に向かいに行ったのです。
感動と涙の連続でした(*_*)

「ハチ」の映画を見て改めて我が家の「ミニー」が一緒に住むようになってから
私達家族が「ミニー」に癒されている事を再認識しました。

私が仕事から帰ってくると、私の階段を上る足音でわかるのでしょう。
いつも「ミニー」が階段の上で顔を出して私を待っていてくれます。

 そしていつも「ただいま、ミニー」と言ってミニーの頭をなでます。
その時、仕事の疲れが一気に取れて自分の気持ちが穏やかになれるような気がします。

本当に家族の一員になっています。

娘の知的障害に何かいい効果があればとの思いで「ミニー」を求めたのですが、
今や私や女房も娘と同じ様に「ミニー」に癒されています。
世話をする大変さよりも大切なものがありました。

2009年02月18日

親として今やれる事、やるべき事

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今、咳をすると脇腹がズキンといたみ思いっきり咳が出来ません。
たぶん、肋骨にヒビが入っていると思います。
何本やられているかはわかりませんがかなり苦しいです。

実はバレンタインデーの2月14日の土曜日に娘の「あみ」と蔵王にスキーに行ってきました。
「スペシャルオリンピックス」の毎週土曜日のスキー練習に父兄として参加してきたのです。
あいにく蔵王は、2月と言うのに前の日に雨が降ったようで春スキーのような雪質でした。

そんな雪質でしたが、いつも頑張って練習に参加しているのでその日は特別ゴンドラに乗って、
上のドッコ沼の中央ゲレンデまで行き、そのゲレンデから一番下の龍山ゲレンデまで休まず滑ってきました。
かなり長い距離を一気に滑ってきました。
かなり雪質が重く、太ももがパンパンになりついて行くのがやっとでした。
「あみ」はどんな斜面もこぶも平気でコーチから「スピード違反で逮捕する」なんて
言われながら、楽しくて仕方がない様子でした。
私も55歳で何十年とスキーから離れていたのですが、
昔とったなんとやらですっかりその気になって滑ってきました。
そして怪我もなく無事帰って来ました。

スキーの練習から帰って来てから私は、夕方まで仕事をしていつもより早めに帰宅しました。
そしていつもは「あみ」は母親と布団に入るのですが、今日は私と寝る事になりました。



久しぶりに私と一緒に布団に入るので「あみ」は少し興奮気味です。
昼のスキーとまた夜「あみ」と付き合う事で日頃の罪滅ぼしをしようと思いました。
歯磨きをしてあげて、本読みをしようとしたら「あみ」がトイレに行きました。
その間、私は昼の疲れか、蒲団の中でしばしの休憩で うとうとなりかけていました。



そしたら、トイレから戻ってきた「あみ」がジャンプして私の胸の上にいきなり「膝キック」をしてきたのです。
突然の「あみ」の行動に私は何も防御も出来ずその場で「う〜」とうずくまりました。


その時は、少ししておさまったのですが、朝起きたら起き上がれない状態でした。

何でこんな事をしてしまうのか。
普通の小学校6年の子供では考えられない事ですが、「あみ」は知的障害を持った子です。
こんな事をしたらどうなるか。
その瞬間に判断出来ないのです。
ただ、自分の気持ちで「まだ寝ないで本読みするんでしょ」との気持で私を起こそうとしたのです。

父親として日ごろ仕事ばかりして「あみ」と付き合う時間が少ない分、
つい無理をして頑張りすぎて疲れて「あみ」より先に寝てしまいそうになった自分が反省すべきでした。

今、私のやるべき事はやはり仕事をしっかりやって家族の生活を守る事。
そして、無理をしないで「あみ」と付き合う事。
日ごろかまってあげられない申し訳なさからつい無理をしてしまうのでほどほどに付き合う事。
今私が「あみ」に対してやれる事はこんなことぐらいです。

でもそんな父親としての私を自分で自分を認めてあげなくっちゃ。
後8年したら、会社から離れてその時こそ「あみ」と女房と共に毎日生活しようと思っています。
知的障害者が自立できるように働ける環境をつくりたいと思っています。

2009年02月05日

「あみ」と「ミニー」

2009.1.9あみとミニーIMGP2163.jpg








うちの「あみ」とトイプードルの「ミニー」です。

「あみ」が知的障害の為、普通の子のように友達と遊ぶことが出来ません。
いつも一人ぼっちです。

私や女房もそばについてばかりいられません。
私は仕事ばかりしているのでほとんど「あみ」と一緒にいる時間がありません。
女房もうちの会社の専務としてやはり仕事が多く早く帰れません。

二人の兄は東京の大学で家にはいません。
知的障害の娘が一人でぽつんとテレビを見ている毎日です。
または近所をふらふらと歩いてどこかの小さい子供(小学一年程度まで)と遊ぶくらいです。

「あみ」は小学校6年生ですがまだひらがなをきちんと読めません。
足し算もまだひと桁の位を練習しています。
時計もわかりません。
右も左もまだよく理解できていません。

そんな「あみ」に思い切って「ミニー」をプレゼントしました。
犬の世話など私達夫婦に出来る訳ないと今までずっと諦めていたのですが
あまりに「あみ」が不憫でかわいそうでペットショップに行ってしまいました。

そして、「ミニー」のかわいさで後で世話をする大変さを忘れて買ってきてしまいました。
今は「あみ」にとって「ミニー」は寂しさを紛らしてくれる大切な友達です。
私達夫婦にとっても大切な癒しの心をもらえる犬です。

「あみ」の心が落ち着いてくれることを願うばかりです。
そして、「あみ」の心が開かれて私達の教える事を少しでも聞こうと思えるようになってほしい。

「あみ」は私が毎朝「顔あらった?」とか「髪の毛がぐちゃぐちゃになってるよ」
と教えても「うるさい。黙ってて」と言ってなおそうとしません。
「ご飯を食べたら口のまわり拭いたら」と言っても台拭きでこするだけです。

親の話をなんとか素直に受け止めてほしい。
素直な気持ちで聞いてほしい。
今、私が一番心配している事です。
「あみ、いつもあまり一緒にいられなくてごめんね。」
息子が帰って来て会社を引き継げるようになったらその時は、
「あみ」にべったりの毎日で一緒に「あみ」が出来る仕事を探して私も一緒にやりたい。

今の私の8年後の夢です。

その夢の為に今、必死で働いています。

2008年10月04日

「あみ」乗馬体験最高の気分

あみ馬の鼻なでるIMGP1655.jpgあみ馬の顔IMGP1654.jpg














娘の「あみ」が乗馬体験して馬から下りたので
その時、私が写真とりたいとデジカメを向けたら

な、なんと「あみ」が馬の顔をなでるのです。
私が思わず「おお〜、あみ すご〜い」

馬も顔をなでられていやな感じではありません。
なんか馬と「あみ」の心が通じあっているような
感じさえしました。

私にはとても出来ません。

「あみ」が動物達と触れ合う事で
精神的にも癒されて落ち着きが出てくるような
感じがしました。

その後、会場にたくさんのほかの動物も
参加していたので、見て廻りました。

「うさぎ」や「ぶた」や「犬」や「ラット」など
どれもこれもかわいいので
娘の「あみ」もさわりまくりでした。

女房が私に真剣に一言。
「やっぱり、あみになんかかってあげたいね」
私が「う〜ん、でも面倒見るのが大変だよなあ〜」
女房が「そうだよね、結局私が面倒見るようになるんだよね」
私が「あみが面倒見れるようになれたらね」

もう少し考えて見る事にしました。
(あみ、ごめんね)
お父さんもお母さんも仕事が忙しすぎで動物の面倒まで
見られそうにないから勘弁してね。

2008年10月03日

娘の「あみ」と動物とのふれあい

 あみ乗馬VサインIMGP1652.jpg
あみ乗馬笑顔IMGP1651.jpg














久しぶりに娘の「あみ」と女房と三人で出かけました。

女房が知的障害者の作業所が中心になって
動物と触れ合いながら障害を少しでも
改善して行こうという企画の案内を見つけて
くれたので一緒に行く事にしました。

馬に乗り上下に揺られる事で
気持ちがゆっくりして心が癒されて
落ち着いた行動が取れるようになるとの
話で是非行ってみたいと思いました。

朝はあいにく曇り空で怪しい雲行きでした。
会場に向かう途中で雨が降り始めました。

女房が「どうする?」
私 「いくだけ行こう」

そんなにひどい雨ではなかったので最悪の場合
傘をさしても見て廻る事ぐらいできると思い
車のワイパーを回しながら向かいました。

会場についた頃、雨も上がり
人もわりとすでに集まっていました。

早速、乗馬体験コーナーに列が出来ていたので
私達もすぐ並びました。

娘の「あみ」は事の他、馬に乗るのが好きなようです。
すでに何度か体験していましたので今回もすぐ乗りたいと
他を全然見ないままその列に並びました。
にこにことうれしそうにしています。

その時の様子です。
本当にうれしそうです。

2008年08月18日

わくわくキャンプで朝倉先生と

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朝倉先生は山形県立保健医療大学の
先生です。

今回のわくわくふれあいキャンプの指導者です。
今年で十周年という事で、参加人数も
学生52人、知的発達障害者29人と
本当に大勢の参加者で毎年増えていくようです。

キャンプの最後に朝倉先生の話の中で
「誰もけがなく、無事閉会できるのは、
リーダーの学生達が中心になって2ヶ月も前から準備した
努力の賜物で、本当によくやってくれました。」

と学生達に感謝して迎えに来た親達も担当の学生達に
帰る前にキャンプの間の子供とのかかわりを
学生達から聞いてから帰って下さいとの事でした。

朝倉先生、学生のみなさん
本当に御世話になり、ありがとうございました。

2008年08月17日

わくわく ふれあいキャンプ  武田英昭

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8月15日〜17日まで山形県立保健医療大学のサークル
”清い翼”の学生さんが中心になって西川町の本道寺地区の
公民館で知的発達障害児達のふれあいキャンプが行われました。

障害のある子供達と学生さんが合宿をして
いろいろなレクレーションをしながら、子供達とのふれあいを深めるキャンプです。
このふれあいキャンプは、子供達が親から離れて生活する事で成長し、
さらに将来医療に携わる学生達が貴重な経験を積む事が目的です。

うちの娘の「あみ」も参加させてもらい、2日目の夕方からの
バーベキューに私達夫婦も参加させてもらいました。

この日はあいにくの雨ふりで中止かなあ?と思いながら行きましたが、
なんと屋根付駐車場の場所で準備されていました。

同じ知的発達障害の子供を持っているお母さん達と写真を撮りました。
皆さん、本当に明るく人生の苦労を一山も二山も乗り越えて来た
たくましいお母さん達です。笑顔が素晴らしいです。

公民館の中では学生達と子供達が花笠踊りや歌を歌ってにぎやかに
楽しんでいました。

今年はわくわくキャンプ十周年との事で参加人数も子供達が29人で
学生達が52人と大勢でお祭りのようでした。

バーベキューの後、学生さんが子供達を寝かせてから
いよいよ夜10時から私達父兄と学生達の懇親会です。
毎年12時過ぎるとの事で、覚悟して参加しました。

懇親会なのでガヤガヤと騒ぐのかと思いきや 
なんと正座して聞かなきゃなんないような学生達一人一人の
担当の障害意児とのかかわりの中で得た感想発表会でした。

あまりに真剣な話しなので、最初はずっと本当に正座して聞いていました。
自分達親が日頃、出来ていない子供とのふれあいを聞いているうちに
なんか、自分が反省させられるような気持ちでした。

途中で足がしびれてきたので、崩して学生皆さんの発表を聞きました。
その後、私達父兄の発表です。
親は親としての思いが又有り、その話で一人一人の親の話も長くなりました。
その後、顧問の朝倉先生がバーベキューの後、いないので、変わりに八柳先生が
「実は、朝倉先生の母親が危篤状態の為、病院に向かっているので私が代わりに話します」
との事で、父兄全員、本当にびっくりしました。

自分の母親が危篤状態なのにこのキャンプに顧問として付き添ってくれる
朝倉先生のこのキャンプにかける思いの強さを改めて感じました。

八柳先生の話が終わる頃、朝倉先生が又、戻って来ました。
父兄みんなして、「大丈夫ですか」
八柳先生が「すみません。話してしまいました。」
朝倉先生が「御心配おかけしてすみません。現在意識がないので戻って来ました。」

いやあ、もう胸が熱くなり、何かもうどうしようもなくこみ上げてくる物がありました。

本当に、朝倉先生、八柳先生、学生の皆さん、ありがとうございます。

感謝、感謝、感謝、自分も心の宝物をもらいました。
ありがとうございました。

お母さん達と撮った写真とみんなで撮った写真です。

2008年08月09日

あみが花笠踊りに初めて出ました。

Image003.jpg
娘の”あみ”と友達です。

知的障害者のケアセンターの

「はとぽっぽクラブ」の仲間で

花笠パレードに参加してきました。

そろいのTシャツを着てはちまきをして

得意そうです。手(チョキ)  女房からもらったメール写真です。揺れるハート

私は仙台にモエル塾の木戸先生と個人面談に行っていたので、

残念ながら見に行けませんでした。

花笠パレードは山形の一番の祭りです。

県外からもバスで観光客がたくさん訪れます。

その大勢の観客の中で障害に負けず最後までみんな踊りきったそうです。すごいわーい(嬉しい顔)

見にいきたかったなあ〜もうやだ〜(悲しい顔)

2008年07月13日

娘のあみです

Image023.jpg娘のあみです。

今日は日曜日、あみと一緒にいる日です。

女房はフリマへ行きました。

今、公園で遊んでいます。

このあとスペシャルオリンピックスの水泳〓の練習に行きます。

いつもは、女房に任せっきりで、

               今日はその反省で私があみと一緒にいる約束をしました。
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公園で遊んだ後に、スペシャルオリンピックスの水泳の練習に、第一小学校の室内プールに行きました。

自閉症の人やダウン症の人など知的障害を持った子供達が集まってきます。

ボランティアの先生も来てくれて、練習開始。私も久しぶりで、子供達の顔を見て

なんか元気をもらったような気持ちになりました。

プールの入口の壁にこんな自閉症のチラシがありました。

「僕たちは自閉症になったのではなく、自閉症で生れただけです。」

自閉症は知的発達障害です。

ダウン症の子も知的障害の子も自分の意志と関係なく生れた時からその障害を持って生れてきたんです。

本人には何の罪もないんです。





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