2010年01月30日

血液を汚す食品添加物について

 私達は食べ物を食べて血液を作って生命を維持していますよね。
食べ物は口から入って胃で消化されから腸に行き十二指腸で吸収されます。
それから肝臓に送られ、
肝臓で解毒されてから血液と栄養が心臓に送られます。
そして心臓から一旦肺に戻され、
肺で酸素を取り込んで再び心臓に送られ
最終的に心臓から60兆個ある全身の細胞に酸素と栄養が血液で運ばれます。
そして全身の細胞で新陳代謝されて私達は生きているのです。

全身の細胞で新陳代謝されて汚れた血液は,
今度は腎臓に集められ99%濾過されて1%は尿として排泄されます。

この私達の生命にもっとも大切な血液を汚してしまう食べ物は、
砂糖、化学調味料(農薬、食品添加物)、油ですが、これらが腎臓の細胞を固くしているのです。

今回は化学調味料について考えてみます。
化学調味料の中でもナトリュウムの入った化学調味料が腎臓の機能を悪くしています。

その中で一番多いのは、
グルタミン酸ナトリュウムです。
アミノ酸とかの表記でカップラーメンやあらゆる加工食品の中に食品添加物として一番多く使われています。

次に多いのはリン酸ナトリュウムです。
このリン酸ナトリュウムは脳細胞を悪くして痴呆症やハイパーにしてしまいます。
今の高校生のジベタリアンを作ったのもこのリン酸ナトリュウムが原因なのです。
そしてさらにこのリン酸ナトリュウムはカルシュウムを砂糖の4倍破壊する恐ろしい添加物です。

最後に一番恐ろしいナトリュウムは亜硝酸ナトリュウムです。
亜硝酸ナトリュウムは0.18gで人間の致死量になる程の最も恐ろしい食品添加物なのです。
なんと青酸カリと同じ毒性を持っているのです。
この亜硝酸ナトリュウムを食品添加物として許可しているのは世界中で日本だけです。(;一_一)
この亜硝酸ナトリュウムは胃癌、大腸癌、白血病などを引き起こす恐ろしい食品添加物です。
実は、この亜硝酸ナトリュウムを許可してしまうのは、
「たらこ」「すじこ」「いくら」「ハム」等の日本料理に欠かせない食品があるからです。

私が近くのホームセンターに犬の缶詰を買いに行った時に、
その缶詰の裏の表示を見たら殆どの缶詰にこの亜硝酸ナトリュウムが使われていました。

亜硝酸ナトリュウムの使われていない缶詰を探すのにその売り場の缶詰を全部見なければならない程でした。
改めてこんなにこの恐ろしい亜硝酸ナトリュウムが当たり前に使われている事に憤りを感じました。
是非、「ハム」等を買い求める時は亜硝酸ナトリュウムが使われていないか確認されて買われた方がいいと思いますよ。  
posted by おもいこみ at 16:16 | Comment(0) | TrackBack(0) | 健康促進 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年01月29日

私の修業した会社 清水鰍ウん

角丸松原氏と遠藤氏とIMGP7188.jpg 













 私が若い頃修業した清水鰍フ東京支店長の松原さんよりメッセージを頂きました。

潟^ケダ様の武田社長をはじめ社員の皆様には日頃より大変お世話になっております。
当社は、建築金物・インテリア用品・DIY用品の商社として国内販売及び輸出入を手掛けており、
大阪に本社を構え『社会貢献・経営連帯・信用蓄積・適応革新・創造提供』と5つの経営理念を基本とし、
快適な暮らしや住まい作りの為、人と環境にやさしい付加価値の高い商品開発と販売に心がけております。

昨年8月より潟^ケダ様の担当窓口である仙台営業所と東京支店を兼務することになり、
昨年早々にご挨拶にお伺いしました。
武田社長は当社で修行されていた方と聞いておりましたので、
お会いするのを楽しみにしておりました。

武田社長は、若輩者の私に対して非常に優しく話をされ、
会社・業界・人生の先輩として商売を抜きで
今後お付き合いや相談できる人である事を実感いたしました。
今回も新年のご挨拶でお伺いさせて頂き、改めて武田社長のお人柄に感銘をうけました。

社長のお話の中で「お客様に喜んでもらえる仕事をする事が一番大切」とありましたが、
その事が今の厳しい商環境の中でやっていけるヒントだとも感じました。
今回もまた、武田社長より多くの事を学ばせて頂き有意義な訪問でした。
また、次回お会いできる事を楽しみにしています。

清水鞄結梹x店  松原直哉 
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
 松原支店長、こちらこそ、
わざわざ東京から私の話を聞きに来てくれて本当にうれしかったです。
清水鰍ウんは私の商売の原点です。
私は、二代目として果たして本当に自分が商売に向く人間なのかを試したくて、
わざわざそう簡単に帰ってこれない大阪の清水鰍ウんを修業の場に選びました。
そして大阪商人の鏡であり、現在の大阪の金物団地を造った先代の清水進一社長に出会いました。
清水社長との最初の面接の時、
なんで山形から大阪に来たのかを聞かれ、
大阪商人の商売のやり方を学んで帰りたいからと答えました。
そしたら、清水進一社長は
「武田君、大阪の商売を覚えるのには最低五年は頑張らないと駄目ですよ。」と言われました。
その時、私は「他の人が五年かかる事を三年で覚えたいと思います。
そして三年で五年分の働きをして会社に恩返しをしたいと思います。」と答えました。

それから、我武者羅な修業時代の三年半でした。
あの時の思いは今も鮮明に私の脳裏に焼き付いています。
ありがとうございました。  


posted by おもいこみ at 08:33 | Comment(0) | TrackBack(0) | 山形県の金物屋 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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