2008年12月31日

東京支店の仕事の流れを考える

東京支店の仕事の流れを考える

それからまた、気を引き締めて配達に専念して一年が過ぎました。
その最初の一年の間に、私は社内の様子を自分なりに観察して
少しでも大阪商人の商売のやり方を盗もうと思っていました。

そして私なりに仕事の流れを考えてみました。
そしてそのなかで気づいた事がありました。

それは御客様への売値が営業担当者まかせで、わりとその場の状況でその都度、その時の判断で
その時注文を受けた担当者以外の人が決めているようでした。
その為、後から御客様に前に買ったときと値段が違うとクレームが来ていました。
そんな状況は東京支店の人みんなわかっていたのですが、誰もどうしようもないと思っていたようでした。

私は商品の値段は同じ御客様に同じ品物がいったら同じ値段でいかないと信頼関係がうまくいかないと思いました。
そこで私は東京支店の全部の御客様の今までの納品書を調べました。
そして主に回転しているそれぞれの御客様の商品リストを御客様別に作ればいいのではと思いました。
そしてそのリストを全員が見て値段をつければ、同じ値段になるはずだと思い、
そのリストを自分のノートにまとめるようにしました。

配達の仕事が終わって一日の仕事を片付けてから、一人でもくもくと調べ始めました。
かなりその作業には長い期間とやり通す忍耐が必要でした。

それでも、思った事は自分の納得のいくようにやらないと気がすまなかったので最後までやり通しました。
そして出来上がった私の「社内極秘、顧客別売値覚書」は、私の宝物になりました。
営業の先輩達が売値の確認の時、このノートを見てくれるようになったのです。

 今では、パソコンがあるので全部その様な管理は簡単に出来ますが、
当時はその様な便利なものはなかったので、全部手作業で、計算もそろばんを使っていました。

そして2年目になり、私は支店長に「店頭」の仕事をやらして欲しいと頼み込みました。
支店長の最初の返事は
「“店頭”は営業経験者がやる仕事やから、
入社して2年目の武田君には、まだ早いし無理だとおもうなぁ」
と言われました。
それでも私は支店長に食い下がり
「決して先輩達の足を引っ張る事はしません。全力でやりますからやらして下さい。」と懇願しました。
その私の熱意に支店長は
「それじゃ、無理だと判断したらすぐ変わってもらうけど、それでもいいね。」
と了解の返事を頂き私は、念願の「店頭」をまかされる事になりました。

「店頭」は、東京支店の仕入れを任されます。
そして、東京支店全部の御客様の納品書の売値も担当の営業マンと同じように判断してつけます。
仕入れが任されるという事は、東京支店の在庫管理まで任される事で常に品薄商品のチェックなど
東京支店全体の営業の流れを左右する縁の下の力持ちのような立場でした。

 

2008年12月30日

首都高速で居眠り運転をして、追突事故を起こしてしまう

首都高速で居眠り運転をして、追突事故を起こしてしまう

それから、また気合を入れなおして配達業務に頑張りました。

ところが、その年の夏に、頑張りすぎたのか、気が緩んだのか、
今でもその時の様子が思い出せるような大失敗をしてしまいました。

 私は入社して、一年目に全国の社員の中から一名だけに、
毎年「新人賞」という賞がもらえる事を聞いていたので
絶対に自分がもらうように他の誰よりも頑張っているところをみせようとしていました。

配達業務でも、配達だけでなく、担当でもないのに営業の真似をして注文取りや、売り込みをしていました。
そんな努力も全部消えてしまうような事をしてしまったのです。
その年の夏に配達業務が終わり、帰りの首都高速で入谷へ向っている時でした。
ラジオをかけて運転していたのですが、どうにもならない眠気が襲って来ました。
高速道路なので、私は必死に眠気を振り払おうと自分の顔を自分でたたいていました。
それでも、ふうっと眠ってしまったのでしょう。
入谷の出口で車が渋滞して止まっていたのに、私はまったくブレーキをかけないままに、そのまま
前の車に追突してしまったのです。

「ドーン」「ガクガク」「シュー」なんと前の止まっているタクシーにブレーキを一切かけないまま
追突していました。ぶつかった後、その衝撃で目が覚めました。
何が起こったのか一瞬自分でわからないような気が動転していました。
私の運転していた車はダットサンでした。
車は追突の衝撃で前のボンネットが浮き上がりラジエーターが割れて「シュー」と噴出していました。

幸いにも私も前のタクシーの運転手さんもシートベルトをしていたので、
大きな人身事故にはなりませんでしたが、
私が乗っていた車は、修理不能な程、前のボンネットが浮き上がりエンジンが壊れていました。

 この時は、本当に自分がやってしまった事故で会社に大きな損害を与えてしまい、
大変申し訳なく思いました。

二度と繰り返さないように深く反省しました。

この事故を起こしてしまった事で「新人賞」はもう自分はもらえないだろうとあきらめるしかありませんでした。

2008年12月29日

私の失敗を優しく包み込む社長の寛大さ

私の失敗を優しく包み込む社長の寛大さ


ここでその時あまりにがむしゃらでまっすぐな気持ちだけだったからかもしれませんが、
私が失敗してしまったエピソードをお話しします。


 入社して大阪本社で研修期間が過ぎて、私は東京勤務を命じられました。
せっかく商売の本場の大阪に来たのに、東京勤務なのかと、ちょっとがっかりしました。

でも、東京支店に来てみたら、私なんかは、山形弁から標準語にしようと無理していたのですが、
大阪の先輩達は、東京にいても「大阪弁」そのままでした。
東京にいながら大阪にいるような社内の雰囲気でした。
大阪の人は大阪弁に誇りを持っているんだろうなぁと思いました。
それに比べ、私は東北の山形の田舎者と思われたくなくって無理して標準語で話そうとしていました。
自分は標準語のつもりでもアクセントがおかしくなまっていたようですが、………
なんか自分がちっちゃな人間に思われました。

 
私の最初の仕事は、御客様からの注文品の配達でした。
高校卒業の人と同じ様に、扱われました。
私は不満でしたが、商売に学歴は関係ないのでした。
最初は東京の地理がわからず、必死に道路を覚えましたが、
そのうちいつまで配達ばかりさせられるのかと不満に思い、支店長に聞きました。
そしたら、最低1年間は配達業務をしなければ、次の仕事には就けないと言われました。

3年で大阪商人の商売のやり方を身につけて山形に帰るつもりだったので、この最初の1年間の
配達業務は、かなり無駄のように感じられ何度も支店長に営業担当をさせて欲しいと頼みました。
 でも、私だけ別扱いはやはりしてもらえませんでした。

そんな東京支店に配属になって3ヶ月位した時でした。
大阪本社から社長が東京に来られ、私と同期のN君の2人に食事をご馳走してくれるとの話を頂きました。
上野駅近くのホテルでご馳走してくれるとの事でした。
約束の日は日曜日で私達は私の親戚の家に遊びに行っていました。
私は親戚の家の板橋から上野までの電車の時間を簡単に考えていましたが予想以上に遅くなり、
社長との待ち合わせの時間に1時間も遅くなってしまいました。
わざわざ、大阪から我々に会いに来てくれたのに、1時間も待たせてしまったのです。

電車から降りてからそのホテルまで走って行きましたが、
かなり社長に怒鳴られると覚悟をして行きました。
ホテルに入ったら社長がロビーのソファに腰掛けられておられました。
そして、待ち合わせの時間に1時間も遅れてきた私達を見て、

「ごくろうさん。いつも大変ですね。」
と、穏やかに微笑んで話しかけてくれたのでした。

私は、てっきり怒鳴られると思っていたので、この時の社長の言葉には、感動さえ覚えました。
そして、この社長のような心の広い人の元で働ける事に喜びさえ覚えました。

自分もこんな社長になろう。

社長と食事をしながら、私達を包み込む社長の心の広さにただただ感動していました。

2008年12月28日

私の修行がスタート

私の修行がスタート



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それから卒業と同時に商売の本場の大阪へ修業に行く事にしました。

商売の本場の大阪で自分自身が商売に向く人間なのか、親の家業を継いで大丈夫な人間なのか、
自分自身を試してみようと思ったからです。

私が就職した会社の社長さんは、
大阪の金物団地を作り金物町という地名まで作り上げたすばらしい社長さんでした。

私はその会社に就職する為の面接に大阪に行きました。
その時に、社長さんから、
「何故わざわざ大阪のうちの会社を選んだのですか。」とその理由を聞かれました。
その時私は、
「商売の本場の大阪で、自分の修行をしたいんです。
そして3年間働いて山形へ帰って親の後を継ぎたいんです。」
と返事をしました。

その時、社長さんは、
「武田君、大阪の商売を覚えるのには最低5年はかかりますよ。」とアドバイスをしてくれました。
そこで私は
「他の人が5年間で覚える事を3年間で覚えてみせます。
そして3年間で会社へ5年分の恩返しをします。」と返事しました。
その返事にさすがに社長さんも驚いたのか、私を採用してくれました。

それからの3年間は、自分が納得いくまで日曜日も関係なく、がむしゃらに働きました。
この会社には私の他にも私のような二代目が修行の為に来ていました。
社長さんの修行の立場の人間を受け入れてくれる心の広さに、
尊敬の気持ちがこみ上げてきました。

2008年12月27日

私が金物屋の後を継ぐ決心をするまで

私が金物屋の後を継ぐ決心をするまで



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 私が小学生の頃は、私の勉強する場所は本当の屋根裏でした。
それも梯子のような急な階段を上がり薄暗くガラスの窓が東側に一つあるだけで、
小学生でも腰を伸ばして歩けなく、前かがみになりながら、東側に置いた机で勉強していました。
つい、うっかり腰を伸ばして歩いて、天井の梁に「ひたい」をいきなりガツンとぶつけてしまいました。
そんな事がたびたびありました。

そんな屋根裏の西側には商品の棚があり商品が置いてありました。
まさに屋根裏の倉庫のような場所が私の部屋でした。

今、思えば無一文からのスタートだったのですから、勉強できる場所があっただけでも
両親に感謝しなければならなかったと思います。

子供の頃の私は自分の事しか見えず、両親の苦労はわかりませんでした。


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中学校時代、高校時代の話は省略します。(話が長くなるので)……それでもかなり長いです。(‐△‐);



 いきなり飛ばして大学生になってからの話しです。
私は、その頃は、家業を継いだほうがいいのか、まだ迷っていました。
自分が将来何をして行きたいのか、まだはっきりとした夢の様なものはありませんでした。  

 大学2年の時、教職課程の単位を1年間とりました。
しかし3年の時、せっかく1年間とった教職課程をやめてしまいました。
その時、わたしは、家業を継ぐ決心をしたのでした。

金物屋を継ぐのに教職免許は必要ない、逆にへんに免許なんか持っていると、
商売がちょっとうまくいかなくなると、いやになり教職免許の事を考えてしまうのではないか、と思ったからでした。

自分自身を逃げ道のない崖っぷちに立たせたほうが
真剣に家業に専念出来るだろうと思ったのです。

2008年12月26日

初代の父の意気込みから私の心へ

初代の父の意気込みから私の心へ


私の家は、両親と妹と私の4人家族でした。
私の父は無一文からスタートしました。
実家が鍛冶屋だったので、そこで打った刃物を売る事から始まったそうです。
行商をして「カンナ」「ノミ」「包丁」「鎌」などを売っていたそうです。

時には、隣りの県の秋田県の駅に自転車と道具を貨物で送って、
そこから荷台に積んだ道具を自転車に乗って青森県まで売り歩いたそうです。
食事は自転車に乗りながら、片手でコッペパンを食べながら、
夜どうし走って頑張ったそうです。

宿代を惜しんで駅のベンチで寝た事もあったそうです。


3年間、ソ連の捕虜となっていた為、周りで餓死して行った同僚の事を考えると、
どんなつらい事も、苦にならなかったそうです。

そんな家族だったので貧乏は当たり前でした。

2008年12月25日

武田英昭の失敗からの気づき

2008年12月25日

武田英昭の気づきを聞いて下さい。
過去の自分の失敗や苦しみ、悩みは全て
これから先の自分や自分の廻りの人を
幸せにする為の道しるべだった。

金物業界に入ってから、武田英昭の30年の歩みと
気づきを聞いて下さい。




潟^ケダの前身は両親の武田金物店


こんにちは、私は、潟^ケダの代表取締役、武田英昭と申します。

現在総勢13人で金物卸業を営んでいます。

私は、武田金物店(両親だけで商売していた時の名前です)の二代目として、

悩み苦しみ、時には失敗をし、またその失敗を教訓として現在に至っております。

私が二代目としてこの道に進む決心をしてから、現在までの30年間の出来事で、

特にその中で失敗から気づいた事などを含めてこれから話しさせて頂きます。

2008年12月08日

ランプ アルミ製棚柱用エンドキャップ AP-EC20

ランプ アルミ製棚柱用 エンドキャップ WS000048.jpgランプ アルミ製面付棚柱 AP-DM型 WS000046.jpg













ランプ アルミ製棚柱用エンドキャップ AP-EC20取付例WS000052.jpg










ランプ アルミ製棚柱用エンドキャップ AP-EC20を御紹介します。

このエンドキャップ AP-EC20はアルミ製面付棚柱 AP-DM用の専用エンドキャップです。
AP-DM型はアルミ製の面付棚柱なので切断の部分で怪我をしないようにこのキャップを取付けます。
棚柱をカットしたままでも端面の保護が出来ます。

このように細部まで、使う人の安全を考えています。
棚柱を取付ける木ビスも棚柱と同じアルミ色に仕上がっています。
シルバーの色合いがとても上品で評判がいいです。

また、棚柱の取付穴の突起部が棚柱の上下をわかりやすくしてくれています。

ランプ アルミ製面付棚柱 AP-DM型取付例WS000053.jpg
ランプ アルミ製棚柱の突起部の説明WS000054.jpg










ランプ アルミ製掘込棚柱 AP-DH型取付例WS000055.jpg













厚みが3ミリと薄型の為、棚柱をまとめて切断する事も可能になりました。
この辺の加工の楽な点も工務店様の人気の秘密のようです。

アルミ製面付棚柱 AP-DMの姉妹品で掘り込みタイプもあります。
ランプ アルミ製掘込棚柱 AP−DH型です。
ネジ止が不要な打込みタイプです。
ビス止が不要なので現場の作業効率がアップしますね。
ランプ アルミ製掘込棚柱 AP-DH型 WS000049.jpg


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2008年12月07日

ランプ アルミ製棚柱用棚受 AP-FB20

ランプ アルミ製面付棚柱 AP-DM型取付例WS000053.jpgランプ アルミ製棚柱用棚受AP-FB20 WS000045.jpg













ランプ 棚受キャップ AP-FC20 WS000047.jpg














ランプ アルミ製棚柱用棚受 AP-FB20使用例WS000050.jpgランプ 棚受キャップ AP-FC20取付例WS000051.jpg







ランプ アルミ製棚柱用棚受 AP-FB20と
専用棚受キャップ AP-FC20を御紹介します。

この棚受 AP-FB20はランプ印アルミ製面付棚柱 AP-DM型と、
ランプ印アルミ製掘込棚柱 AP-DH型の専用棚受けです。

薄型形状で内側が90度に曲がっています。
その為、使用例のように棚受けに本の角がぶつかりません。

他社製の棚受けは内側が斜めになっている物が多いです。
使って見ると内側が90度になっている事の素晴らしさを実感します。

さらに薄型の為、専用の棚受キャップ AP-FC20を差し込めます。

木製棚板の場合は棚板の下側に予め半円形の溝加工をしておきます。
この棚受けキャップ AP-FC20を半丸が盛り上がっている方を上にして差し込みます。
これだけで木製の棚板のずれ防止になります。

またガラスの棚板の場合は棚受キャップ AP-FC20の平面を上面にします。
これだけでガラス用の棚受けになります。

同じ棚受キャップが木棚にもガラス棚にも使用できるすぐれものです。

一度使ってみた工務店様は、この棚柱ばかり使うようになっています。
薄型なので軽いし、アルミ製なので簡単に切断出来るのも人気の秘密のようです。
さらに仕上げの色が上品なので、御客様から大変好評だそうです。

是非一度試してみて下さい。
posted by おもいこみ at 13:05 | Comment(0) | TrackBack(0) | 家具金物 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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